先に好みの話で言うと、僕は細くてしなやかな蕎麦が好きです。ゴワゴワの田舎蕎麦もそれはそれでおいしいとは思うものの、「蕎麦食べたい!」となるときのイメージの中心はあくまでそういうものです。その時、それが更科なのかもう少し黒っぽいものなのかはさほど問いません。なのでゆで太郎の蕎麦は僕にとってはかなり好ましいものです。質問者さんとは好みの方向性そのものが少し違うのかもしれません。

蕎麦粉の割合は、僕ごときの熟練度ではさっぱりわかりません。でも少なくともゆで太郎の蕎麦にそういう物足りなさを特に感じたことはありません。しかしそれでいうと、同じ更科系でも、小諸そばのほうが蕎麦感が強いような気はします。もっともそれは小諸そばの方が太くて柔らかいので、つゆが極めてあっさりしていることも手伝ってそう感じるだけなのかもしれませんが。

 

Webサイトの「蕎麦殻は枕にするもので食べるものではありません」のくだりは、なんだかそこだけ妙に浮いてますよね。Twitterなら即炎上するやつです。なぜあんなことを書いてしまったのか少し不思議です。

全体を通して中の人が(最終的に文章にまとめたのは外部のライターさんかもしれませんが)、インテリであることは間違いない。だからあれは、ギリギリを攻めたつもりのブリティッシュジョーク的なブラックユーモアのようにも見えます。しかし文体が文体だけに、「納豆なんて人間の食うもんちゃうで」的ななにわのおっさんの酒場トークより、いささかキツく感じます。まあそこも含めてブリティッシュジョークなのかもしれませんが。

なのでなんとなくそこには、中の人の苛立ちのようなものも感じます。つまり、蕎麦は黒ければ黒いほど香りが強く、香りが強ければ強いほどそれは良い蕎麦である、という世間に広がる二重の誤解、またそれによってゆで太郎が過小評価されることをなんとかしたいという思いが漏れ出てしまっている。

そもそもあの文章は、食券制の安価なチェーン店だからってゆで太郎をナメてかからないで欲しい、という(一般論的にはなかなか無理筋な)狙いが終始貫かれています。企業的ファストフードの文脈ではなく伝統的な江戸蕎麦の系譜に位置付けさせたい、という強い思いですね。(企業コンセプトというよりは担当者の個人的思想のようなニュアンスも感じます。)

そしてそのことにある程度以上成功しているのがあの文章の凄いところですが、蕎麦殻のくだりだけは「筆が滑った」としか言いようがありません。個人的にそんな人間くささも含めて決して嫌いではありませんが、真面目な人は怒るでしょうねえ……。

1年

利用規約プライバシーポリシーに同意の上ご利用ください

イナダシュンスケさんの過去の回答
    Loading...