「昨日は何もいいことは無かった。

今日も何ひとついいことが無さそうだ。

明日もきっといいことは無いだろう。

……それがブルースなのだ」

 

そんなことを言っていたブルースマン(つかただのブルース好き)がいました。彼の言うことが正しいのかどうかは、ブルースにあまり詳しくない僕は知る由もありません。しかしそんな定義を満たすブルースマンがラーメン屋さんで背中を丸めて虚ろな目でラーメンを啜っていたら、その姿には確かにある種の美学が漂う気がします。

 

夜明け間際の吉野家で、化粧のはげかけたシティガールとベイビーフェイスの狼たちが、若き日の中島みゆきと並んで、肘をついて眠そうに背中を丸めて牛丼(つゆだく)をレンゲで口に運んでいたら、それもやっぱり詩的な風景だと思います。

 

しかし幸か不幸か、というか幸いなのでしょうが、僕はブルースマンではありませんし、夜明け前まで新宿でやさぐれているわけでもありません。世の中の大半の人もそうでしょう。だったらやっぱり丼は胸の前まで毅然と持ち上げて、背筋をシャンと伸ばし、元気よく麺とスープを同時に啜ったり、牛丼をかきこんだりしたいものだと思います。

その時は当然、左手には丼、右手には箸。アルファ・ケンタウリ星人でもない限り、レンゲを持つための三本目の腕は持ち合わせていないのです。

 

まあ、勝手な美学の話はこれくらいにしておきましょう。しかし、ラーメンも牛丼も、丼を持ち上げて食べた方が圧倒的においしくて食べやすいと僕は思っています。正直ラーメンに関しては、今や持ち上げるにはつらい形状や重量のラーメンが大半なので、僕も美学やおいしさは少しばかり諦めて、前半だけはレンゲを手にせざるを得ないことが多いです。しかし少なくともつけ麺なら、持ち上げない理由は何ひとつありません。

 

ずっとそうやって思ってきました。もちろん今もそう思っています。しかし現実問題、丼をテーブルに置いたまま食べる人の割合は、かつてよりさらに増えていると思います。つけ麺でさえ、置いて食べている人が大半です。特にブルースマン人口が増えたわけでもなさそうなのに、なぜそうなっているのかは僕にはよくわかりません。

しかし確実に言えることは、僕も質問者さんも、現代においては「変な人」だということです。ただ幸いなことに現代は、変な人の多様性も認められやすい時代です。これは不幸中の幸いです。だからこれからも、遠慮なく丼を持ち上げ続けてください。僕もそうします。

 

 

4か月

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イナダシュンスケさんの過去の回答
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