いろいろなものに卓上で醤油をかけて食べる、というのは日本食ならではのスタイルですが、関東地方では特にその傾向が強いのは確かなのではないかと思っています。相方氏はその中でもそれがより撤退している、さしづめ「醤油民」なのでしょう。
醤油民の醤油使いには、僕もこれまでずいぶん驚かされてきました。塩サバに醤油をかける、塩鮭にかける、漬物にかける、カレーにかける……。しかし僕もすっかり東京の絵の具に染まり、だいぶその意味を理解できるようになってきました。今では、アジフライは完全に醤油派に鞍替えするに至りました。なんならとんかつも醤油で行けそうな気がします。クリームコロッケまではまだだいぶ距離がありそうですが。
そんな中で気付いたのは、醤油をかけるというのは、味だけでなくむしろ香りの効果が強いということです。関東トップ銘柄の醤油が特に香りが強いというのも、それを物語っている気がします。
そういう意味で、それはインド人さんにとってのスパイスと似ている気がします。インド人さんは往々にして、スパイスが入らない料理を「味がない」「おいしくない」と感じるようです。醤油民にとっての醤油も同じ構図で、醤油がかかった状態こそデフォルトであって、そうでないものは「欠落」である、と。
ここで我々日本人が陥りがちな誤謬があります。「なんでもスパイスまみれにしてしまうインド料理は、素材そのものの味わいを大事にしていない」というものです。しかし正直、こんなこと言う人がいたら恥ずかしいと思います。見識が浅いという前に、差別的だからでもあります。
醤油に関しても同じです。何にでも醤油をかけるのは「味音痴だから」と考えるのは明らかに間違っています。これはスパイスの話と同様の思い上がりです。少なくとも質問者さんの中に少しでもこのような考えがあったとしたら、それは確実に問題の解決を遠ざけることになるでしょう。
塩たたきに醤油をかけるのは、あくまで醤油民基準で言うならば、食への執着の欠如だと思います。これもまたいつも言うようにそれが普通なのであって、執着が強い方が異常であるということは念頭に置く必要があります。
醤油民にとっての「醤油をかけないという行為」は、言うなれば、「ダブチーからあえてケチャップを抜く」というのと同じ構造になっています。つまり周縁的・変態的な行為です。おいしすぎないようにコントロールしておいしさの多様性を楽しむ、というのは僕や質問者さんにとっては当たり前かもしれませんが、それは世間の当たり前ではありません。なのでこの問題は、実は、僕の質問サイトで頻出の「食に対する興味の強さや保守性の温度差」の話に他なりません。それをどうするかは外野がどうこう言う話ではないので、これだけにしておきます。
あと付け加えるならば、家ではともかくも、お店で食べる時のお店の人からの目線の問題がありますね。「何にでも醤油をかける」は、残念ながら、作り手を傷つけてしまう可能性が高いです。お店とお客さんは、互いが尊重し合うことが望ましい、ということは上手に教えてあげてもいいのではないかと思います。こういうことを先輩から叩き込まれることの少ない現代において、未履修の人が自力でそこにたどり着くのは案外難しいことですからね。