数年前から、地元の文芸誌に投稿することを励みに趣味で小説を書いています。初めの頃は、純粋に小説を書くことが楽しくて、喜んで書いていたのですが、何度も自分の作品が落選になるうちに、次第に書くことが苦しくなってきました。今では、原稿用紙に向かっても、何を書いてもどうせ落選だ、自分の書いた作品は審査員から見向きもされずゴミのように捨てられるだけなのだ、と感じてしまい、書く前から気分が悪くなってしまいます。

ありがたいことに、僕の書いた小説を読んで、よかった、僕の書く文章が好きだ、と言ってくださる恩師や友人がいるのですが、どうしても自分の作品が落選したことばかりに気がいってしまい、心温かい言葉も耳に入りません。自分でも器が小さくて本当に嫌だと感じるのですが、自分の作品が評価されないことに対して、感じたくもないのに憤りを感じてイライラしてしまいます。

自分の作品が世間の評価を得られないからといって腹を立てたりイライラしたりすることのない、器の大きい人間になりたいです。世間の評価など気にせず、純粋に小説を書くことを楽しめるようになりたいです。

何かアドバイスをください。

自分の書いた小説を文芸誌に投稿して落選が続くなら、書くことが次第に苦しくなるというのは至極当然のことだと思います。またその気持ちが高じれば書く前から気分が悪くなるというのはよく理解できます。ですからそのことだけで「器の小さい人間だ」のようにはあまり感じません。あくまで私があなたのご質問を読んだ上での個人的な印象に過ぎませんけれど。

 * * *

小説を書く人に限らず、何か創作物を生み出す人の多くは、ほんのわずかな批判や、自分の作品が受け入れられないことに対して大きなショックを受けると思います。もちろんそれを表に出さない人は多いですし、まれに割り切って考えられる人もいますけれど。しかしながら、創作物を世に出すときには何らかの批判や自分の作品が受け入れられないケースは多々あるわけですから、自分なりの現実的な対処法を見つけておくのはよいことだと思います。

たとえばエゴサーチをしないとか、自分のまわりに批判的なことを言う人をおかないとか、そもそも書いたものを公開したり、投稿したりしないとか、人によって「対処法」はさまざまでしょう。もちろんその「対処法」が行き過ぎると、自分の作品に対する刺激や建設的な批判や良い意味での緊張感が失われる危険性もあるので、注意は必要になります。

 * * *

あなたは「純粋に小説を書くことを楽しめるようになりたい」ということですが、そのことと「地元の文芸誌に投稿すること」との関係がいま一つわかりませんでした。

自分は何のために創作をしているのか(あなたの場合には何のために小説を書いているのか)を折に触れて考えるのは悪いことではないと思います。あなたの場合には「小説を書く」だけではなくて「地元の文芸誌に投稿する」というアクションを行っています。それはなぜでしょう。そこに何を求めているのでしょう。その答えは誰にも出すことはできず、あなたご自身がよく考える必要があると思います。

簡単に答えがでることではありませんし、確定的で変化しない答えがでるとも限りません。でも、考える価値はあります。

 * * *

あなたにこう考えよというわけではありませんが、あくまで一例として考えてみます。地元の文芸誌に投稿して落選することをきっかけとして「どのように書いたら落選しなくなるだろう」と考える方向はあるでしょう。内容が悪いのか、書き方が悪いのか、それとも……?同じような活動をしている友人がいるならその人に具体的に読んでもらって忌憚ない意見を聞くかもしれません。

あくまで一例として書いています。でもそのように「どう書いたらこの文芸誌に掲載されるだろうか」を突き詰めて考えているうちに、自分はどういうものを書きたかったんだっけと考え直すかもしれません。そして他の文芸誌に投稿先を変えたり、あるいはまたネットなどを利用してまったく違う作品の公開場所を求めるかもしれません。

 * * *

注意が必要なのは、あまりにも根を詰めて「どうしたら落選しなくなるか」を考えすぎることで、書くことがすべていやになってしまう危険性です。そこにもまた、プラクティカルな心の健康を保つ工夫が必要になると思います。

あなたの質問の最後の方にある「自分の作品が世間の評価を得られない」というのは、素朴に読むなら、かなり大ざっぱな状況理解であると思います。ここでいう「世間」というのは投稿している地元の文芸誌だと想像しますが、そこで作品を読んでいるのはいったい何人でしょうか。世の中には無数の人がいます。あまり「世間の評価を得られない」というように考えを膨らませすぎない方がいいと思います。もちろん、落選が続くことでそのように思いたくなる気持ちは理解できますが、それは現実から乖離し始めています。

また「器の大きい人間になる」というのはもちろんすばらしい願いですけれど、おそらくそれは何というか、結果としてそうなるのだと思います。「器を大きくする」というのは具体的な一歩がわからないので、あまり気にしない方がいいと思います。もっとプラクティカルに考えた方がいいですね。

 * * *

たとえば、私だったらどうするかを考えてみます。どうしても落選したくない、その文芸誌に掲載してもらいたいというなら、さきほどの「一例」にあったように「どうやったら落選しなくなるか」という作品研究をするかもしれません。あるいは「この文芸誌に出してもらちがあかんな」と考えて別のメディアを考えるかもしれません。

作品研究をするにせよ、別のメディアを考えるにせよ、具体的にできるアクションです。そういった具体的なアクションを行うことを通じて、自分が感じる「落選して気分が悪いし、小説を書くのが苦しい」という状態から抜け出そうと考えるんじゃないかと思います。

 * * *

あなたがメッセージで書いておられた中で「恩師」や「友人」が出てきました。そういう方は大事にした方がいいと思います。まあ、私がわざわざ書くまでもなく、あなたは大切であるとわかっていらっしゃるようですけれど。

 * * *

違う角度から話します。自分が本を書いていて方針に迷ったり、悩むことがあったりして、自分だけではどうにも解決できないと思ったら、早めに編集者なり信頼できる人と話をすると思います。そこで解決方法が得られるとは限りませんけれど、自分が抱えている名状しがたい状況を口に出して話し、それを信頼できる人に聞いてもらうことは非常に大きな意味を持ちます。解決方法が得られなくても意味があるのです。

以上、アドバイスとはいえませんが思ったことをあれこれ書きました。乱文失礼します。

 * * *

追記:回答に対してスーパーギフトをいただきました。ありがとうございます。

7か月7か月更新

利用規約プライバシーポリシーに同意の上ご利用ください

結城浩さんの過去の回答
    Loading...