特定の言語のアクセントや発音に魅力を感じたり感じなかったりするという現象は、外国語学習者の多くが経験していることかもしれませんね。私も英語を学び始めの頃は、英語の発音は日本語に比べてなんて洗練されてかっこよい響きなのだろうとと感じていました。次にフランス語を学び始めた際には、さらに洒落た感じがして、ゾクゾクしたことを覚えています。

その後、言語を専門的に研究するようになり、音声学や社会言語学の立場から言語を観察するようになりましたが、この立場から当時の経験を冷静に振り返ってみると、あれはひとえに英語やフランス語への憧れのなせる業だったのだと、はっきり気づきます。英語やフランス語の発音に魅力を感じていたのは、英語やフランス語という言語(の習得)に魅力を感じていたからであり、この後者の魅力は、英語やフランス語が歴史的・文化的に体現してきた「洗練された西洋文化」への憧れに端を発しているものだとわかりました。そして、この憧れは幕末から明治にかけての日本に生じた潮流であり、現在まで多くの日本人の間に脈々と受け継がれてきたものと理解しています。私自身もその大きな潮流のただ中にいるだけなのだと。

特定の音、あるいはその組み合わせそれ自体が本質的に人間の耳や脳に心地よいもの、好ましいものであることを示唆する強い証拠があるとは寡聞にして知りません。もしそのような事実があるとすれば、十万年(以上?)の人類言語の歴史を通じて淘汰され、現在までにベストな音(の組み合わせ)しか残っていないはずと考えられます。

社会音声学の知見によると、同じ音でも、言語や方言によって価値判断が異なるという事例は多々あります。さらにいえば、同一言語・方言内でも時代によって、同じ音がポジティヴに受け取られたりネガティヴに受け取られたりと変わるものです。

英語から典型的な例を挙げますと、"non-prevocalic r" に関する発音の話題があります。car, star, fourth, floor などの「母音の前に生起しない r」(粗くいえば語末っぽい位置に起こる r ととらえておいて結構です) は書き言葉ではしっかりと綴られますが、話し言葉では方言によって /r/ として発音されたりされなかったりします。

典型的には標準アメリカ英語では /r/ が響きますが、標準イギリス英語では /r/ は音声化されません(「ゼロ」発音です)。ところが、非標準アメリカ英語の発音ではゼロ発音もありますし、非標準イギリス英語の発音では /r/ が発音されることもしばしばです。つまり、アメリカでもイギリスでも /r/ 発音もあれば、ゼロ発音もあるという事情は一緒です。car でいえば、米英ともに /kɑr/, /kɑː/ の両発音が聞かれるということです。

ところが、/r/ とゼロ発音の評価は、おもしろいことに米英で正反対なのです。アメリカ英語では /r/ 発音が標準的であり「好ましい」とのポジティヴ評価を獲得していますが、ゼロ発音は非標準的として高評価を得ていません。一方、イギリス英語ではゼロ発音こそが標準的で「好ましい」とのポジティヴ評価を得ており、/r/ 発音は非標準的で「田舎くさい発音」とのネガティヴなレッテルを貼られています。同じ音(の実現や不実現)の社会的評価が、大西洋を挟んだ2つの英語方言において、まったく異なっているのです。音自体に内在的に「好ましい」あるいは「いとわしい」といった価値が付随しているとすれば、この分布を説明するのは難しいのではないでしょうか。

今度は、イギリス英語に的を絞って歴史的・通時的に考えてみましょう。現代のイギリス英語では r のゼロ発音がポジティヴ評価を得ていると述べましたが、300年ほど前にはそもそも r のゼロ発音は事実上なかったので、評価のポジティヴもネガティヴもあり得ませんでした。同様に、従来より存在した唯一の発音である /r/ 発音にも、評価のポジティヴもネガティヴもあり得ませんでした。ところが、250年ほど前にロンドン付近で生じた音変化によってゼロ発音が出現するや、従来の /r/ 発音と新興のゼロ発音との競合が始まり、どういうわけか(おそらくロンドン方言の威信に支えられて)ゼロ発音が「社会的に」優勢な発音となり、現在に至ります。

音の評価は、その音のもつ「本質的」な価値によるものではなく、個々の社会(や個人)がその音に対して与える「社会的な」価値(ある意味では任意の価値)に依存することがわかるかと思います。

質問者(とかつての回答者)が、ある言語の音に対して魅力を感じる(あるいは感じない)とすれば、それは音そのものの「本質的な」価値を感じ取っているものと錯覚してしまいがちですが、実際にはその言語(社会)に社会的な高評価を与えている結果なのだと考えます。

関連する話題として、参考までに回答者による「hellog~英語史ブログ」より2つの記事を挙げておきます。

- 「#1535. non-prevocalic /r/ の社会的な価値」 http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2013-07-10-1.html

- 「#1764. -ing と -in' の社会的価値の逆転」 http://user.keio.ac.jp/~rhotta/hellog/2014-02-24-1.html

2023/09/17投稿
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