橋本 省二:「実験装置の中に他のどこにもない特色ある装置を組み込め。狙った獲物がかからなくとも他の獲物を捕らえるチャンスが巡ってくる」。ニュートリノ天文学の創始者としてノーベル賞を受けた小柴昌俊先生の言葉です。カミオカンデに始まる日本のニュートリノ研究は、もともとニュートリノの測定を目指したものではありませんでした。
どういうことでしょうか。
素粒子の標準模型が確立した1970年代。次にきたるべき理論として大統一理論が登場しました。電磁気力、弱い相互作用、強い相互作用はもともと一つの理論で書かれるはずだ。単なる理論家の思いこみではなく、標準模型にはそう信じたくなる構造が潜んでいます。おそらくは必然的に登場した大統一理論。その最大の帰結は陽子崩壊でした。確率は小さいけど、陽子はいつか別の素粒子に崩壊するはずだ。ならば、それを測定することが素粒子物理の次の大目標になる。それが70年代末から80年代にかけての認識だったはずです。
陽子崩壊をつかまえるにはどうすればいいか。確率が小さいので多くのサンプルが必要だ。安くて多く集められる陽子。それはつまり「水」です。崩壊したときに、それ自身が光を発する測定器にもなる。それがカミオカンデのアイデアでした。それまでどこでも見たことのない水タンクの素粒子実験。小柴先生のアイデアを急ピッチで実現したのは、周囲の人たちの献身でした。しかし結局のところ、陽子崩壊は今に至るまで見つかっていません。その意味でこの実験は期待した成果を得られなかったわけですが、代わりに降ってきたのが超新星ニュートリノでした。SN
1987A。隣の銀河、つまりすぐ近くでたまたま起こった超新星爆発から大量のニュートリノが飛来し、その測定が最大の成果となったのです。
いわばおまけの成果がカミオカンデの目玉となり、スーパーカミオカンデからはニュートリノが主たる研究テーマとなりました。それがさらに次の世代に受け継がれています。
ご質問は日本のニュートリノ研究が世界最先端なのはなぜか、でしたね。お答えとして「たまたま超新星爆発が起こったからです」というのは不適切でしょう。むしろ、どこにもなかった実験を考案して実現したアイデアと実行力が鍵だったのだと思います。実は同じころにアメリカでも同種の実験が行われました。しかし、性能の面でカミオカンデのほうが優れていた。そしてアメリカではそのころ超大型の加速器施設SSCの建設が始まり、ニュートリノどころではなくなったという事情があったのかもしれません。結局SSCは中止されてしまったのですが。
現在、日本では次世代ニュートリノ実験の Hyper-Kamiokande の建設が進んでいます。同様に米国では DUNE
という大型実験が建設中です。日本は世界最先端には違いありませんが、常に激しい競争にさらされています。この競争ではやはり「他のどこにもない」アイデアや装置が鍵をにぎるのだと思います。