「バラモン左翼と商業右翼」という斬新な対比を呈示したトマ・ピケティは同じ「資本とイデオロギー」の中で、日本の現状について短く言及しています。その全文を引用しましょう。
「この先進国の選挙民主主義における亀裂構造の全般的な発展における唯一の真の例外は日本だ」
「日本は第二次世界大戦後に西側諸国で見られた階級主義的な政党制を一度も発達させなかった。日本では自由民主党が1955年以来ほぼ一貫して政権を握り続けている。歴史的に、この準覇権保守政党は地方農民有権者と都市ブルジョワジーの間で高い得票を誇った」
「自民党が経済産業エリートと伝統的日本社会をうまく結びつけられたのは、米国による占領と、ロシアや中国との近さからくる極度の反共主義という複雑な文脈の中で、戦後復興を政策の中心に据えたからだ」
「これに対して、民主党(主な野党) は通常、中低所得の都市部賃金労働者と、米軍の存在や自民党が代表する新しい道徳社会秩序に反対したがる高学歴有権者の間で高い得票を誇った。だが自民党にとって代わるだけの多数派を持続的に形成することはなかった。もっと一般的に言えば、日本の政治対立の固有構造はナショナリズムと伝統的価値観をめぐる亀裂との関係で捉えるべきだ」
冒頭の「この先進国の亀裂構造」というのは、欧米の政党が高学歴者の「バラモン左翼」と高所得・高資産の「商人右翼」の二つに支配されていってしまったことを指しています。そして低学歴で低収入な一般労働者層は、政党政治から見棄てられてしまっているというのがピケティのこの本での論考の主軸です。
日本は幸運(といって良いのでしょう)なことに、そのような分断には現状では陥っていない。その背景として、まず20世紀の55年体制のころに自民党が戦後復興とその後の積極的な分配政策によって、農村と都市で広範囲に支持を固めたこと。それによって階級的な亀裂が広がらなかったことがあります。
これに対して社会党(ピケティは民主党と書いていますが、55年体制では社会党)は、国会で多数派を持続的に形成することはできませんでした。
ピケティは日本の政治対立は、資本家と労働者の対立ではなく「ナショナリズムと伝統的価値観をめぐる亀裂との関係」と指摘していますね。戦後日本の右派左派は「保守」「革新」と呼ばれていて、戦前の価値観から脱却するかどうかが保守と革新の境目だったというのはその通りだと思います。
以下はわたしの私見ですが、現在はこの関係が反転しつつあり、戦後がすでに80年を経過した中で、戦後の価値観が守旧化していき、現在の対立は「戦前の価値観に対する姿勢」ではなく「戦後の価値観に対する姿勢」に変化しつつあるのではないかと考えます。つまり「戦後護持派」が左派であり、「戦後改革派」が自民党や維新という以前とは一回転した対立構図になっている。
そのような状況の日本では、欧米のような資産・収入をめぐる分断の問題は、さほど深刻化していません。これは中流層が日本ではさほど転落していない(とはいえ貧困層がアンダークラス化しており、この問題が深刻であるのにも関わらずシルバー民主主義下ではあまり議題に上っていない)という事情があるかと思います。また欧米と違い移民の問題が大きくなっていないということもあるでしょう。
したがって今のような状況が持続する限りは、欧米と同じような構図にはならないのではないかと考えられます。経済状況が変わればその先はまあわかりませんが。