戸田 剛文:子供の視点や洞察力自体にハッとするということがあるかと言われると、ほとんどないです。というのも子供が5歳ということもあり(また僕の息子の能力もあるのでしょうが)洞察力というようなものはやはりまだ感じられないからです。 ですが、子供を見ているとやはりいろいろと考える素材であったり、感心することはあります。 幼児それ以外の子供はやはり非常に吸収力が高く、彼らが意識していなくても、よく大人を観察しています。なので、使う言葉は身近な大人に露骨に影響されます。 例えば、僕がよく「・・・の可能性がある」という言葉を使い、そして息子に対しても使います。そうすると、3歳くらいでも、「パパ・・・の可能性あるな」とか言ってきます。もちろん可能性なんて言葉の意味がわっかっているとは思えないのですが、とりあえず使うようになるのです。逆に言えば、まさに試行錯誤で言語というのが学ばれるのだということがよくわかる事例かと思います。 計算とかも同じで、意味とか概念なんてのはほとんど関係なく、手続きをどんどんと吸収するようになっているのでしょう。 iPadなどももともと直感的操作を考えて作られていることもあり、すぐにある程度使いこなします。そうするYouTubeなんかも自分で勝手に見れるようになりますが、そこからどんどんと情報を吸収します。 息子は、今年の夏など猛暑の日にディズニーランドが映っていたときに、それをみて「着ぐるみの人暑そうやな」と言い出した時にはびっくりしました。なんでそんなことを知っているのかと聞くと、YouTubeでああいう着ぐるみに入っている人を見たとか言っていました。だからといってショックというわけでもなく、受け止め方は冷静で、大人の子どもに対して持つ子供らしさというのも時代と共に変わっていくのだろうなと思ったりしました。 ちょっと取り止めのない書き方になりましたが、子供の洞察力にハッとするという体験はあまりないのですが、子供を見ていろいろと考える素材は豊富に提供してくれます。そしてそれは、自分の哲学の仕事にも反映されるでしょうし、また子供の教育の方法についても、考えることは多々あります(大学生ではないのですが)。そういう意味では、子どもはとても興味深いです。(阅读更多)