菅野 由弘:私の作品が、演奏家によって様々に解釈され、表現されることは、喜び以外の何ものでもありません。むしろ、多様な演奏を望んで止みませんし、どう書いたら、演奏家の想像力を誘発できるかをいつも考えています。もちろん作曲をするときは、「想定上の架空の姿」を想い浮かべています。私の場合は、頭の中で音楽を鳴らしてみて、それを書き取って行きます。そして、前日まで書いた部分は、続きを作曲する前に、楽譜を見ながら、頭の中で鳴らして(歌って)から始めます。が実は、テンポも演奏を想定した姿も、毎日微妙に違います。ということは、自分の中で「これが理想像」というのは一つではなく、複数存在する事になります。そして、それを演奏家に渡すと、そこから更なる演奏家独自の音楽を引き出してくれます。それは、たいてい、私が想像していたより遙かに素晴らしいのです。曲を書くときのほとんどは、ある優れた演奏家、もしくは演奏団体の委嘱ですので、その人がこれを弾くときの表情や、手の動きなども想像しながら書いています。「弾きにくい」と歪んだ表情をを浮かべるだろうと思いながら書いた部分が、いとも簡単に穏やかな表情で通り過ぎる、などということも多々あります。そうして出来上がる演奏は、私の想定を超えています。それをいつも楽しみにしています。 私は、曲は、渡した時から演奏家のものだと思っています。私は生みの親、演奏家が育ての親。作曲家は生みっぱなしで、音楽を育てるのは演奏家です。ですから、精一杯、思いが伝わるように書きますが、それ以上には手を出さない、その方が結果が良い、というのが私の結論です。 質問者の「違和感」という言葉が、気になります。ポジティブなのかネガティブな意味か分かりませんが、もし、私の曲から何らかの「違和感」を引き出してくれたら、それは素晴らしいんじゃないでしょうか。(阅读更多)