ikeken:日本社会についてのことだったら、大きく変わりますかね。あるいは変われるでしょうかね。 この15年余りの間、日本では政権交代が二度あり、大規模な災害があり、経済的な大災禍もあり、コロナにはもちろんひどくやられました。何か大きく変わったでしょうか。 変われないのがこの国、この社会ではないですかね。 何か目玉で大きくやろうとすると、結果的に既得権の利益だけが守られて、他のみんなは落ちていく。大学にいても競争力の落ちは明らかに感じます。そして国は老い、老うているのに、老うた人を70だからなどといって仕事の場から追いやる。他方、若い人はどんどん減っていく。大きな可能性のある人も確率的に減るということではないですかね。 みんな政府が何をやり出すか、ほとんど期待していない。逆に何かまたやらかすのではないか、という統治の不安を持ち続けている。 ということで、恐縮ですが、変化が何をもたらすか、どんな影響を持つか、というより、変化しないことがどんな災いをもたらすか、をしっかり考えた方がよさそうに思います。それが結局、「変化できる社会」をもたらす可能性につながるのではないかと。(阅读更多)
高橋賢:国立大学の研究力・教育力の低下と,それに伴う国力の低下でしょうか。国力の低下の方はもっと長いスパンで現れてくると思います。 国立大学にはオカネがありません。国立大学法人化以降,国からの運営費交付金は順調に減らされ続けています。人件費に充てるオカネが足りません。そこで何を始めているかというと,若い先生を任期付きで雇用し始めています。表向きの理由は人事の活性化ということですが,内実はオカネがないから若い人を安く雇用し,永久雇用への切り替えができない場合はまた新しい若い人を任期付きで雇う,ということです。これはとりわけ社会科学の領域では研究力の低下につながると思います。任期中に永久雇用を得るために手っ取り早く結果の出る研究ばかりやるようになります。そうすると,長期的に解決しなければならない多いな社会課題などを研究テーマにする研究者が少なくなってきます。 また,このような任期付きという不安定な雇用形態を嫌って,若くて優秀な研究者は国立大学への就職を敬遠していく可能性もあります。そうすると,長期的な研究成果をもたらしてくれるはずの優秀な研究者が国立大学に集まらなくなり,総合的な国立大学の研究力,そしてそれを教育へフィードバックしていくという推進力が著しく落ちることが予想されます。大学の執行部,そして文部科学省,財務省が長期的な発展の絵を描けない限り,この状態が10年も続けば,国立大学の研究力と教育力は大きく落ちていきます。それは国の衰退につながっていくと思います。(阅读更多)