小川仁志:死とは何かということについては、様々な分野で議論がなされていますね。最近の科学では死は存在しないという見解も出ています。あるいは、宗教によっては、死後の世界を肯定するような考えや、生まれ変わりを肯定するような考えがありますね。哲学の分野にも種々の立場がありますが、物理主義、つまり脳を含めた身体機能の終局的停止は精神の消滅をもたらすという考え方が有力であるような気がします。もちろん哲学ですから、それを疑って、精神や魂の不死を唱える人もいるわけですが。さて、私自身はどう捉えているかというと、わからないというのが正直なところです。自分で経験するまでは私は何事も納得できないタイプなのです。だから徒に死を恐れることもありません。わからないものを恐れるのは、人生の時間を無駄にすることでもあるからです。その意味では、ハイデガーが唱えた現存在ではないですが、唯一確実である死までの時間を懸命に生きるだけです。もっとも、わからないことについて考えなくていいといっているわけではありません。死について哲学することはとても重要だと思います。でもそれは、あくまでより善く生きるためなのです。