Kore @英語多読中。目指せ100万語:これは私がいい話を持っています。 どこかにもつぶやきましたが、 一番キャッチーなものを書きましょうか。 私は27歳の時外資系製薬会社のMRとして循環器・糖尿病薬剤の病院担当者として県ナンバー1といっても過言無いほどの市場を持つ病院での採用・シェア争いを任されました。 赴任時、私はエリア50MR中、下から3番目でしたが、10ヵ月で上位3番~5番をキープし始め無事に営業所1位で10人ゴボウ抜きとなりました。これは運も製品の良さもありますので、私の実力だとは思っていませんが当時27にしてはそこそこ頑張っているだろうと感じていました。 その年に私は運もあり最速で昇進します。 そして、そのタイミングで日本の製薬会社TOP2と大手の外資系製薬会社の中途採用を受けました。当時自分が売れ時であることは間違いがなく、数字も活動も全て説明が出来、再現できると判断したためです。より激しい環境に身を置き、営業マンとして一流を目指していきたい、みたいな青い発想を当時は持っていました。 その結果、2勝1敗し、私は国内系大手製薬会社のD社から内定を好条件で得ることが出来ました。おそらく、私の千葉商科大学という地方単科大の学歴で入社することは絶対に不可能だと思います。しかし、退職直前に家族から猛反対にあったり、体調を崩してしまい、仕事が出来ない状況になるなどの信じられない不運が重なり、入社日に入社ができなくなり、断腸の思いで内定を辞退せざるを得ませんでした。おかしいですよね。平均年収1100万円の企業の内定を蹴るなど、どう考えても頭のおかしな行動でしょう。当時の私は、(後は私の親が医療系の仕事をしている関係で、MRだけは絶対にやってほしくなかった、理系の仕事についてほしいみたいな強い希望らしきものは聞いていました)親を激しく憎み、自分自身も憎み、全てが黒い世界のように思えました。すべての内定を断り退職届を提出してしまっていた段階での東京駅で食べた涙だらけの朝食は一生忘れられません。 悲しみの中、私は毎日履歴書を作り全力で就職活動を行い、私は10社以上応募し、何とか臨床開発受託機関、日系中堅CROへの内定を決めました。職種はMRではなく、臨床開発モニター、通称CRAといいます。年収は400万下がりましたね笑。治験のお仕事です。 私はその日系のCROの中で政治的には上手くいかないことの方が多かったものの、非常に素晴らしい経験をさせてもらったと思います。本当に素晴らしいCROだと思いました。CRA、メディカルライティング、治験届、データマネジメント、臨床企画など多岐にわたり活動致しました。 再生医療等製品も3試験経験し、PMDAの当局対応・軽い交渉や質疑応答、Global Auditer対応も任され、気づけばリーダーとして6名のメンバーのタスクコントロールとデリバリー、クオリティに責任を有した時期もありました。 そのような様々な経験を経て、現在は外資系のCROにしがないCRAをやっています。 年収は40%増、大学病院なども多数経験させていただくことが出来、大変勉強になっています。 今現在はMRが縮小傾向になっている時期と思います。 勿論優秀なMRさんは何人も知っています。営業所長も何人かは仲いい人がいます。資本主義社会の人間はマクロの流れに逆らうことは絶対にできません。 その意味では、MRの仕事を泣く泣く辞退しましたが、医療上非常にニーズの高い臨床開発職に文系でシフトできたことは人間万事塞翁が馬だなというところでしょうか。 ある程度の専門性を身に着けたのか、身に着けてないのかわかりませんが、MR時代よりは医薬品に関する知識、治験に関する知識、GMPに関する知識、統計解析のふんわりとした理解と一応ビジネスで使える英語が身に付きました。 これに気づくのに10年も使ったのは痛いですが、スパイシーな10年だったのかもしれません。 上記より、私が言えることは、大失敗しても、諦めず走り続ければ絶対に流れは別の形でやってくるということかな・・と偉そうに言える立場ではありませんねw こんなバカみたいな失敗をしない人生を送られることを切に願っております。 なんだかんだ、人生とはConnecting dots.とは言ったものです。経験がいいものでも悪いものでも無駄なことは全く一つもありません。常日頃から論理的に積み上げて解を自力で導く努力を続けていければかならず、点と点はつながり、線となり、やがて面となっていくと私は信じております。 ここまで読了を頂きまして誠にありがとうございました。 TwitterのFollower#1000を目指しております。 宜しければフォロー&転送のほどよろしくお願い申し上げます。 @infinity144kore Kore 拝(Read more)