頻繁に自慢話を挟んでくる人や、誰に対して発しているのかが不明瞭な、でも明らかに反応を欲しているとわかるような独り言を発する人との会話を心から楽しむコツはありますか? ******* 人と話をしていて、きっとこの人はそうとは言わないけれど褒めてもらいたくて、「すごい」と言ってもらいたくてこういう発言をしているのだな、と察する瞬間があります。そういう時に、自分には素直に相手を褒めたり「それでそれで?」と話を盛り上げたりする懐の広さがありません。 同様に、「明らかに周りの反応を期待している独り言」からも「構ってほしい」というメッセージを受け取るのですが、その通りにする気前の良さが私にはなく、むしろ強い不快感や拒否感を覚えてしまったりします。 ******* いちいちイラッとしてしまう自分の器の小ささに対してとても残念だなと感じると同時に、どうにかして私自身の発想を変えれば、そのような人たちとの会話も面白く楽しい時間にできるのではないかとも思っています。ただ、どのようにすればそうできるのか、分かりません。何か経験談や研究結果などがあればぜひ教えていただきたいです。

ご質問を読んでいると、「会話を楽しめそうもない人と、会話を心から楽しみたい」という無理で無茶な願いを抱いているように感じます。そしてまた率直に申し上げますと「会話を心から楽しむこと」を求めているというよりは、「自分の器の小ささを感じずに済む方法」を求めているようにも聞こえました。

反応を欲する人の振る舞いを通して、自分の狭量さを見せつけられるのが不愉快なのは理解できます。そしてその自分の感情をケアするだけでエネルギーが消費され、相手に対するケアができなくなるのも理解できます。

ただ、率直に申して「器の大きさ」のようなものは、発想をちょっと変えたくらいではあまり変わらないと思います。発想をちょっと変えることで対処できるのは、もう少し表面的な、テクニカルでプラクティカルな回避策のようなものだと思いますよ。

具体的にいうなら、「すごい」のようなポジティブな受け止め方までできなくても、「そうなんですか……」のようにニュートラルな受け止め方を試みるような言葉の上での対処法のことです。強い不快感を覚えているにもかかわらず、不機嫌な様子を見せずにニュートラルな受け止め方をするだけでも、十分すごいことだと思います。

相手を褒めたり、話を盛り上げたり、心から会話を楽しむまで行かなくても、相手の話を聞いてあげるだけでも相手に対して配慮していることになります。やや逆説的ではありますが「自分はこんなにイラッとしながらも、相手の話を聞くことができているんだ!」という意識を持つことで、自分の不快感が軽減される可能性はありそうです。

ところであなたのまわりにはそのような「構ってほしがる人」が複数人いるのでしょうか。それとも誰か特定の個人がいるのでしょうか。もしも特定の個人の場合には「構ってほしがる人」のような一般的な話ではなくて、その人との個人的関係も少し見直した方がいいかもしれない、などとも思いました。もっとも、それは私の勝手なイメージですけれど。

以上、感じたことを率直に書きました。気に障る部分があったらごめんなさい。

2022/03/10Posted
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