小田部正明 (Masaaki Kotabe):先進国とか発展途上国とかの言葉は1950‐60年ごろから使われるようになり、その発展途上国から先進国への移転に関しては、Walt Rostowの The Stages of Economic Growth (1960)の5段階説が有名です。段階には、(1)伝統社会、(2)離陸の先行段階、(3)離陸段階、(4)成熟段階、(5)高度大衆消費社会が含まれています。いずれにしても、発展途上国がある条件を満たせば、徐々に先進国へと発展していくという理論(説明の仕方)です。私がここで言いたいのは、このような一方通行の考え方は1960年頃に生まれたもので(勿論、国連も採用していますが)、何となく18世紀中頃にイギリスで起こった産業革命以降の西洋社会の観点からみた見解に思えます。つまり、長い歴史の中で見るとほんの過去3世紀くらいの短い期間で観察された現象を上手く説明しているだけです。多分、貴方の質問はこの路線上にある質問と解します。 では長い人間の歴史の中で、人間が大きな古代文明を作った時代にさかのぼると、メソポタミア文明(紀元前1万年以上前)、エジプト文明(紀元前3000年前)などがあげられます。メソポタミアは現在のイラク、エジプトは現在のエジプトと変わりはありません。このような世界に誇る大文明(大先進国とも言えるでしょう)が、現在のイラクもエジプトも一般に「発展途上国」と言われていることを考えると、先進国を経験した発展途上国はいくつもあります。12世紀から16世紀まで存在したインカ帝国もその一つです。インカ帝国は数学、天文学、そして都市開発に優れた文化で現在のペルー界隈の南アメリカに存在しましたが、現在のペルーもチリも一般に同様に発展途上国と呼ばれています。 更にもう少し現在に近い歴史を見てみても、同じように国の浮き沈み(つまり先進国から失墜)を経験した国もあります。中国が清王朝(1616年~1912年)によって統治されていた時期、例えば1822年の当時の中国のGDPが世界の35%に匹敵し、西ヨーロッパの国々を全て足しても中国のGDPに及ぶか及ばないかだったことを考えると、今からほんの200年程前は、中国が世界で一番大きな経済大国であったことが分かります。(因みに現在のアメリカのGDPが世界で一番大きく、世界の約16%に相当します。つまり、相対的に言えば、1822年の中国は、現在のアメリカの2倍強の経済力があった訳です。)その後、中国は徐々に衰退し始め、イギリスとのアヘン戦争(1839‐1842)で敗れ、その後日本との日清戦争(1894‐1895)で敗れ、第二次世界大戦後には、毛沢東による共産主義の下で「文化大革命」と呼ばれる経済的な発展を抑制する政策が取られたため、当時の小さな日本のGDPよりも小さな衰弱した国と化してしまいました。中国の例もまた先進国が発展途上国に逆戻りした一例です。勿論、1980年以降の中国の著しい再発展をみると、今度は発展途上国から先進国へ移動しているのは一般の方に現在知られている事実です。また、1950年頃は、個人レベルの所得で見てみると、現在発展途上国と言われているアルゼンチンやベネズエラの一人当たりのGDPでは当時のドイツ、フィンランド、オーストリア、そしてスペインのそれよりも高かったことを考えてみてください。アルゼンチンやベネズエラは人口が少なかったため、経済大国ではありませんでしたが、個人レベルの所得で考えると、ヨーロッパの多くの先進国の個人所得率よりも高く、豊かな国だった訳です。ところが、生憎1950年以降、南アメリカの諸々の国で軍事政権が台頭し、能力のある一般市民が虐待され、(以前の中国と同じように)経済的に落ち込んでしまいました。勿論、1980年以降、自由主義に戻るとともに現在の発展途上国(ないしは新興国)として持ち返してきています。 結論として、長い歴史の中で、先進国(Developed Country)を経験した「発展途上国」(Developing Country)と言うか「後進国」(Post-Developed Country)になり、更に「再発展途上国」(Re-Developing Country)を経験している国は沢山あります。(Read more)