Koji Fujita:結局はその人の価値感次第でしょう.私だって自分が一生まったく縁のない言語が消滅しても私個人は痛くも痒くもないだろうというのが正直な気持ちです.
しかしながら教科書的な答え方をするなら,言語多様性が失われることはそのまま人類の財産が失われることであり,人類の一人としてそのような損失はないほうがよいと思う,といったところです.
早い話,日本語が消滅するとしたらどうでしょう.個別言語が1つ減るというだけでなく,これまで日本語で培われてきたすべての文化や世界観,知見,知識が永遠に失われるということであり,人類全体にとって耐えがたい損失だと私なら感じるでしょう.
それぞれの個別言語は大げさにいえばそれ自体が人類が築き上げてきた可能世界です.日本語を話すということは世界を日本語モードで捉えるということであり,それは英語モードや中国語モードの世界と同一ではありません(いうところの言語相対性,サピア・ウォーフの仮説).
自分とは異なる世界観だからなくても構わないと感じるか,いろんな世界観があったほうが楽しいじゃないかと感じるかの違いでしょう.私はいろんな世界観があったほうが楽しいと思うので,言語多様性も存続して欲しいと思います.反対にやれグローバル化だの英語だけあればいいだの言ってる人は,1つの世界に閉じこもりたい人でしょうね.
新設の大学・学部ができると,多様な世界観を学生に身につけさせるとか謳っておきながら,名称がグローバルコミュニケーションとかで,なんじゃそりゃと突っ込みたくなります(笑
最初のお尋ねに戻ると,自分とまったく無縁のマイナーな言語であれば消滅しても自分に現実的な問題はないだろう(実際これまで多数の言語が消滅しましたがそれで何か自分が困ったとか損したということはない),しかし人類全体の財産が失われるのはやっぱりいやだな,という感情論?にならざるを得ません.