橋本 省二:還元主義を教義とする素粒子物理との対比として、物性物理では「創発」こそが本質だと言われることがあります。アンダーソンの "More is different"
ですね。多数の粒子が起こす現象のなかには思いもよらない秩序が隠れている場合があり、それが超伝導をはじめとする様々な興味深い現象を引き起こす。これこそが物理学の醍醐味だというわけです。ただ、巨大加速器に猛烈に反対するアンダーソンさんの姿が重なってくるせいで、両者の対立を強調する言葉に聞こえる面もあるようです。
本当のところどうなっているんでしょうね。物質をどこまでも分解して根源を探る。素粒子物理の目指すのが還元主義にあるというのはそのとおりなのですが、それを進めているうちに「創発」の壁に遭遇してもう何十年も経っているというのが私の認識です。どういうことかというと、素粒子の背後にあるのは「場」、つまり空間にしきつめられた無限個の自由度です。素粒子とは何かを調べるには、多数の自由度が織りなす何らかの秩序を調べる必要がある。物性物理と同じなんです。もちろんこれは南部陽一郎の「自発的対称性の破れ」の研究から始まったことで、その本質は対称性というよりも、真空ですら多数の自由度が見せる一形態にすぎないという考えを持ち込んだということではないかと思っています。
あ、ご質問のことを忘れていました。なぜ素粒子は均一なのか、でしたね。なぜ電子はどれも同じなのか。ここにある電子も、宇宙のはるか彼方の星を作っている電子も全部同じなのはなぜか。別に違っていてもいいではないか。そういう質問ですよね。考えてみるとその通りです。私の答えは、それらはすべて「真空」という同じ媒質を伝わる波だから、というものです。空気中を伝わる波、つまり音は、(温度や圧力が同じなら)どこでも同じ速さで伝わります。それと同じで、真空を伝わる波としての素粒子は同じ性質をもつ。元はといえば、空間をうめつくす電子の「場」という無限個の自由度こそが主人公で、私たちが認識する電子はそのある励起のやり方にすぎない。光子やクォークだってみんなそうです。
ちなみに、電子では真空は簡単なものですが、クォークの真空は複雑怪奇です。おそらく物性物理が相手にする創発現象と同じように、あるいはそれらよりずっとややこしいことになっています。還元主義を突き詰めていくと無限個の自由度が出てくる。ゲームの最後に出てくるラスボスみたいですね。物理は一つなんです。