人生は好きな事、関心のある事に注力した方が良いという指南があります。その方がアウトプットも幸福感も大きいのは容易に想像が出来ます。 しかし、一方で、あまり何事にも関心を持たない、無趣味に近いような性格の場合はどうすれば良いでしょうか。 多少、そこまで関心がなくても、無理やり継続的に続けて、一定の視界が開けるまで技量向上に努力するべきなのでしょうか。 本当に関心のある事だけに注目してしまうと、自分の人間の幅を狭くしているようで、不安が残ります。 多趣味で何をやっても達者な人を見ると非常にうらやましく、人間的に優れているように見えてコンプレックスを感じます。 それを払拭するためにも、何かしら強制的に取り組むように自分を仕向けた方が良いのでしょうか。

「人生は好きなことに注力しようといっても、好きなことが特にないならどうすればいいのか。また、少数のことに注力したら人間の幅が狭くならないか。多数のことが得意な人を見るとうらやましいがどうすればいいのか」という質問だと理解しました。

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なにごとも、やってみなくちゃわからない」というのが初めに感じたことでした。何事にも関心が持てなかったり、特に趣味がないという方はたくさんいらっしゃいますが、その中には「何も試してこなかったから、そもそも世の中にどんなものがあるのかを知らない」という人もいると思います。

なにごとも、やってみなくちゃわからないものです。ちょっとでいいから試してみる。試しにやってみることで「やっぱりつまらない」になるかもしれないし「意外におもしろいな」になるかもしれません。

もちろんそういう活動は強制されたらつまらないものですし、義務感からやってもおもしろくはありません。ですから私も「おすすめ」するだけです(強制などそもそもできませんけれどね)。

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ほかのひとと、くらべてみてもしょうがない」というのが次に感じたことでした。確かに、多趣味で何でもできる人はいますし、フットワークが軽くて上手にこなし、いつも人生を楽しんでいるように見える人はいます。

うらやましくなる気持ちはよくわかりますけれど、真面目に考えてみると、ほかのひとと、くらべてみてもしょうがないですよね。特に「好きなこと」や「おもしろいと思うこと」は人によって違います。楽しむペースも、スピードも、まったく違うものです。

「あんなふうになりたい」と思う気持ちが起きるのは避けがたいですけれど、それを追求し過ぎると、かえって自分自身がどこかに行ってしまいます。これをやれば楽しいはずだ、これを続ければ喜びが生まれるはずだ、なぜならあの人もそうやっているから……などという考えに染まりすぎると、結局は、自分を見失います。

自分の心の深いところまで「何か」が届かないと、深い喜びにはなかなか至らないものです。マイペースで、他人と比べすぎないようにして、いろんなことを試してみる。そして「これは好きかも」という何かとの出会いを期待するのが現実的だと思います。

よい出会いがありますように。

3y

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