小田部正明 (Masaaki Kotabe):国際経済学の理論で説明できます。簡単に言えば、商品(サービスを含めて)に「貿易可能な商品」 (tradable goods)と「貿易不可能な商品 」(non-tradable goods)があります。例えば、自動車、パソコン、ソフトウェア等は輸出・輸入(貿易)が容易にできる貿易可能な商品です。ところが、レストランのウェーターのサービスとか車の修理サービス等はその場で同時に購買と消費が起こり、そのような商品(サービスに多い)は輸出・輸入はできないので貿易不可能な商品と言われます。貿易される商品の値段は世界レベルでの競争で決まっていくので、輸出・輸入費、関税等を割愛して考えると、基本的に世界全体で同じ値段になっていきます。これを経済学では「一物一価の法則」(Law of One Price)と言います。その製品(例えば自動車)を作るのに生産性が高く優れた国(A国)の自動車産業では、その生産性に応じて労働者の賃金も上がります。同じ自動車を作るのにA国ほど生産性の高くない国(B国)の自動車産業の労働者の賃金はその低い生産性を反映して、同じようにあ低くなります。ところが、貴方の言うように、A国でもB国でもレストランのウェーターのサービスの生産性・質にあまり差がないのが現状です。ところが、A国のウェーターの方がB国のウェーターよりも賃金が高いのが現状です。その理由は、「機会費用」(opportunity cost)という概念にあります。A国のウェーターがウェーターをする代わりにA国の自動車会社で働けば、その自動車会社の生産性に見合った高い賃金がもらえます。それを機会費用と言います。ですから、A国でレストランのウェーターをしても(生産性の高い)自動車会社で働いた時にもらえる程の賃金を要求します。(生産性の低い)自動車会社のあるB国でも、その国のウェーターはその国の自動車会社の賃金を見て、それと同じくらいの賃金をその国内の機会費用として要求します。結果として、A国のウェーターの賃金の方がB国のウェーターの賃金より高くなる訳です。一言で言って、日本からタイとかベトナムに旅行すると、現地の貿易できない・されていない商品(サービス)(例えば衣食住にかかる値段、タクシーの値段等)がかなり安いことを経験する訳です。(Read more)
菊澤研宗:この違和感は、実は私も感じています。 私は、この違和感は経済合理性では説明できないのではないかと思っています。 米国を中心とする経済合理的な市場経済では、より良い製品はより高い価格で販売され、質の悪いものはより安い価格で販売されます。また、労働市場では、労働の供給が多ければ、質が高くても安い賃金で雇用され、労働の供給が少なければ、質が悪くても高い賃金で雇用することになります。 このような市場経済での人間行動の基本原理は、簡単にいえば、損得計算です。損得計算してプラスならば行動し、マイナスならば行動しないという原理です。このような経済合理的な行動原理にしたがって、良いものを高い価格で販売すると、付加価値は高まり、生産性は上昇します。 ところが、日本の場合、良いものを安い価格で販売したり、質の高い労働が安く雇用されたりして経済合理性からズレた行動が見られます。そのために、付加価値は増加せず、それゆえ生産性も低くなる傾向があります。 なぜか。日本の場合、経済活動に倫理的なものが組み込まれているように思います。安くても良いものを作ることは正しいとか、給与は安くてもまじめに働くことが正しいといった道徳的で倫理的な価値観が入っているように思います。逆にいうと、米国の経済市場主義では、こういった倫理的なものは排除されるように思います。血液を売買する市場が形成されると、結局、ボランティアで献血する人はいなくなるのです。 以上のような違いが、生産性をめぐって違和感を生み出しているのではないかと思います。それは、経済学的には説明しにくいように思います。(Read more)