山﨑秀彦:ご質問ありがとうございます。
ここで取り上げられている論文は自然科学系の論文であると考えます。門外漢ですが、日本経済新聞の2022年12月14日付夕刊1面に、この答えの1つと考えられるコラムが掲載されていたのでそれを紹介させていただきます(明日への話題「日本の科学再生に向けて)。
文科省の科学技術・学術審議会学術分科会委員であった佐藤勝彦氏(当時自然科学研究機構長)は、自らが委員として参加した特別委員会で、2015年に「トップ10%論文数」の凋落傾向の詳細な分析を行ったことを指摘し、「この傾向は十数年前から始まっていた。(中略)原因に挙げられたのは大学の基盤的研究費の減少、若手のポストの減少、博士課程への進学率の低下などであった。いずれも基本的に04年の国立大学の法人化の結果だ。国の予算が厳しいことを受け、運営交付金を毎年1%減額するが、国立大学に人事、予算、体制に裁量を与え、互いに競争させ大学を改革しようとするものだった。」としています。要するに国立大学の独法化にその元凶があるとの説明です。
回答者は、会計学者の立場から、国立大学の独法化によって大学の基盤的研究費がなぜ減少してしまうのか、その原因を考えてみました。
上記の説明からは、「国」の運営交付金予算総額が大きく減らされているとは考えられません。すなわち、運営交付金予算総額に占める基盤的研究費の割合が低下していることが問題であると考えます。それでは、かつて基盤的研究費に充てられていた予算はどこにいってしまったのか?それは、各独立法人が運営交付金予算獲得上有利になるようなー「成果が目に見えるような」ー支出にまわされると考えられます。
国や企業の経営が「厳しく」なると目先の利益に目を奪われて、将来の投資を疎かにして、さらにジリ貧状態に陥るということだと思います。
国立大学に競争させることはよいことだし、そうさせるべきであると考えますが、そのパフォーマンスの評価尺度に基盤的研究を適正に評価する指標を入れ、その重みを増大させるべきであると、回答者は考えています。