金明秀 Ꮶɨʍ, ʍʏʊռɢֆօօ:別の質問 https://mond.how/ja/topics/rd1iipqna6q9zr8 でも紹介しましたが、ミクロな差別には6通りの現れ方があります。
人々が差別的な言動を「いけないこと」だと感じるのは、それがものごとを《正しい》と判断するときの基準に抵触するからです。そして、人々がものごとを《正しい》と判断するには、衡平基準、平等基準、承認基準という3通りの基準があるということがわかっています。
それぞれ説明を再掲します。
衡平基準とは貢献度に応じて富を分配することが正しい(がんばった人ががんばった分だけ報われるのが正しい)という考え方です。給与でいえば能力給やボーナスがこの基準に則して支払われます。ケーキの切り分け方でいえば、ケーキを購入するにあたってたくさんお金を出したひとが大きなカットをもらう権利があるという考え方です。
平等基準とはメンバー全員を平等に遇するのが正しいという考え方です。参政権は国民であれば平等に一票与えられますし、行政サービスも原則としてすべての住民に等しく機会が与えられますが、これらは平等基準にもとづく制度です。給与でいえば基本給や年齢給がこれにあたります。ケーキでいえばパーティの参加者全員に均等に切り分けるべきだという考え方です。
承認基準とは特別な必要に応じて相応に配慮することが正しい(困っている人にはより手厚くもてなすべき)という考え方で、福祉サービスなどはこの基準が重視されます。給与なら扶養手当や住宅手当など各種の手当てが相当します。誕生日ケーキでいえば、誕生日の人がいちばん美味しそうなカットをもらうのが正しいというような考え方です。
この3つの基準は、いきすぎても、足りなくても、それぞれ機能不全に陥るため、差別には合計6通りの現れ方があるということになります。
さて、衡平基準、平等基準、承認基準は、それぞれ歴史的に認められてきた時期が違います。3つの基準のうち、世界の差別・人権問題の歴史の中でもっとも早く争点に浮上したのは衡平基準でした。奴隷解放運動や第一波フェミニズムなどが「同じ人間だ!」と訴えて「見下し」型の差別と闘ったのがそれにあたります。
次いで、1950年代半ばから公民権運動などで平等基準が争点となり、人種隔離政策を撤廃させることで「排除」を差別だと認めさせました。国際人権規約はそれらの運動の結晶といえるでしょう。
そして、承認基準が重要な争点だと見なされるようになったのは1960年代半ば以降のことで、第二波フェミニズム、ポストコロニアリズム、障害者自立運動などが「同化強要」を問題化する主役となり、多くの国々で多文化主義を政策として採用させるにいたりました。
ところが、日本では、差別というといわゆる同和問題の解消が主力であったため、いかに「見下し」や「排除」に対抗するかということは問われてきましたが、承認基準が争点に浮上することは非常にまれなことでした。やっと2008年になってアイヌを先住民族として公式に承認したことや、障害者への合理的配慮を定めた障害者差別解消法(2016年4月施行)が数少ない例外でしょうか。
そのような状況ですので、日本では承認基準の不全状態、つまり「同化強要」と「他者化」が、諸外国に比べて差別だと認識されにくいといえます。
また、世界のほとんどの国で、少なくとも「見下し」と「排除」については法律で禁止しているのですが、日本には実質的に差別禁止法が存在しない状況です。そのため、世界の多くの国々であまり見られなくなった露骨な差別が、差別だと理解もされないまま放置されているということも、日本の特徴の一つです。