多々良源:科学をやっている側としても質問者の気持ちはよくわかります。自分に関わらない分野に関しては、例えば(失礼ながら)芸術や現代音楽には同様の疑問を感じることがあります。自分の専門分野である物質の物理学の中でも、高温超伝導(室温が業界用語では「高温」というのもどうかと思いますが)は、40年以上たくさんの研究資金と人材が投資されているのに室温で超伝導が動作する物質は見つかっていないのは、研究の目指すところが社会的価値からずれていることは間違いないと思います。また、宇宙生成の過程はだれもが「わくわくする」謎だと思いますが、ここ数年あるいは10年の研究成果でどれだけの新しい事実が見出されたのかといえば、一般の人にわかるような進歩はないのではないでしょうか?アメリカの人気ドラマBig
bang
theoryで主役若手理論物理(ひも理論)研究者が「ひも理論はもう終わってる」と揶揄される場面があったと思いますが、高度な最先端の科学に対してもそういう素直な視点も持つことは科学の健康的な発展のためには必要だと思います。
研究者は自身が「わくわくする」ことだけで活動を正当化することは今の時代できないと思っています。芸術であれば作成者がわくわくしても売れない作品は売れないという「評価」をうけますから、それと比べて科学研究者は恵まれている(保護されている)と思います。一方でもちろん科学は売れる「流行歌」をつくるのが使命ではありません。改めて自然科学の社会における役割について自分の周りのことから考えてみます。
自然科学の社会への意義の重要なものはやはり技術革新への貢献です。今の時代コロナやがんなどの医療分野の成果はとてもインパクトがありわかりやすいですね。現代社会は物理学なしにも存在できず、1950年代の物質科学の研究成果が今の全ての半導体技術の基盤になっています。最近の例では、量子計算がホットですが、これは日本人の当時若手研究者が海外と連携して1980年代に作成した素子が元になっています。この研究は当時の物質物理の分野では話題になったものでしたが、当事者は純粋に基礎科学としての興味で研究を進めていたと思いますし、ましてや近い将来科学技術の基盤を大きく変えるようなものになるとは思っていなかったと思います。数は少なくてもそういう例があることは、興味(わくわく感)に基づいた研究の重要性として十分なものだと思います。皆さんが年間数千円を税金からある大学に払っているとして、そこが世間を騒がせている量子計算の基礎素子を開発したとしたら、投資としては十分見返りを感じるのではないでしょうか。もちろん医療その他の分野ではより生活に関わる重要な成果がたくさん得られているはずです。
ただこの面だけが重視されて「役に立つ」ことのない研究がなくなれば科学も技術の進歩もなくなりそして一般教養の進歩もなくなります。むしろ実際は「役に立つ」研究はごく稀で、「役に立たない」研究が大部分を占めているはずです。ただ、こうした「役に立たない」(我々のような)研究者でも役割はあり、それは研究成果より、むしろ科学的思考により真実を追求する活動そのものにあるとぼくは考えます。未知のものを少ないヒントから明らかにする過程、科学的に実証していく過程、これらの科学的姿勢は日常生活でも欺情報に惑わされず自身で的確な判断を下すために不可欠なことでもあります。今の社会ではこの科学的姿勢が失われているようで、これはとても危ういことです。本来事実を伝えることが任務であるべき報道においても、検証や統計的信頼性を詰めないままの情報を垂れ流しているように科学的視点からは見えます。こうしたなかで、研究や大学教育において科学的思考法を伝えることは社会全体にとっても重要となる活動だと思います。ここでは「わくわくする」ことを見せることも重要な教育の一面になるでしょう。このあたりに関しては、科学研究者は職人や芸術家の一種で、それらと同じようには価値のある存在であるとも言えますかね。
こう考えると、科学者も、職人や芸術家と同様その活動を社会に認知してもらう活動をすることが必要なのは明らかです。だから今回のような質問に対しては、これまでそういう努力をしてこなかった科学者にも責任があります。しかも日本はこの点で間違いなく遅れています。アメリカでの学会での話ですが、会場に行く路線バスの運転手に、物理の学会があるんだろう、ときかれ、さらに「今読んでいる本でわからないことがあるのだけど教えてくれるか?」、といわれたことがあります(運転しながら)。それはB.
Greeneという著名な研究者が一般向けに書いた「エレガントな宇宙」(日本語訳名)という本で、最近のひも理論の研究成果までも触れられた本でした。もちろん同じ物理学をやっている身でも専門の違いでこのバス運転手の質問にはきちんと答えられませんでした。このバス運転手が例外的だったのかもしれませんが、それでも一般の人に科学が浸透していることを見せつけられました。加えて、現役の研究者がこれだけしっかりした内容の本を一般向けに書けるという点も、研究者として見習うべきだと思いました。
最近は初等教育にも科学的思考を、という動きもあるようです。(2023.3.14の日経新聞朝刊,「STEAM教育を広げよう」など) 「科学的」思考により的確な判断を自ら下せることは社会の発展の基礎だと思います。(それができれば、ある研究が重要なのかそれともただ研究者本人がワクワクするだけなのかも見分けられるでしょう。)