ikeken:アメリカ大統領選挙は元からエンターテインメント的だというわけではありませんでした。大統領候補者を決めるのですから、ショー化しキャンペーンの一環として党の結束を訴え、テレビに乗るようになってからますます「見せる」要素が強まりました。予備選の影響力が強くなり、結果を確認するだけのイベントになっていったのも影響しているでしょう。ですが、よく知られたシカゴ1968の民主党大会のようにひどく荒れることもありました。
もちろんリンカーンの頃から演説によって市民を惹きつけようとする試みは多く、ルーズベルトの時代はラジオの炉辺談話、ケネディはテレビ初の大統領候補者演説討論会、クリントンになるとネットが使われ始め、トランプはご存じの通り。。政治コマーシャルはアイゼンハワーの時から既に存在し、このこともエンタ的な要素が政治に入り込むきっかけになったかもしれません。しかし初めから、政治ショーがアイドルのコンサートようであったわけではありませんし、エンターテインメント色ばかりが強かったわけではありません。ケネディの政治コマーシャルはポップな歌が耳から離れませんが、しかし中身は政策的な部分を多分に持ちます。
19世紀からマーケティング的な色彩があったとは言え、ポップな様相が市民の側から入り込むのは1960年代から徐々にだと言われます。Tシャツに政治的主張を掲げるなど、市民レベルの政治表現がポピュラーカルチャーに進出し、ネット時代になってからは、特にLGBT運動の初期にFacebookを中心に運動が政治争点化してから、自己の主張を容易に表出し、identity
politics of social movementsが拡大したと言われます。その後「ウォール街を占拠せよ」などに引き継がれていきました。
こうしてトップダウン形式の政治マーケティングが変化する中で、トランプに対する民主党のサンダースの陣営は、ポップ化された政治運動の色彩をよりエンターテインメント化させたと指摘されます。それを「市民マーケター」と呼んで、どんな意味があるかを詳細に検討した面白い本があります。Penney,
Joel (2017) The Citizen Marketer: Promoting Political Opinion in the Social
Media, NY: Oxford University
Pressです。邦訳はないと思いますが、関心があったら読んでみてください。いちがいにこうしたエンターテインメント化を持ち上げるのではなく、プラスとマイナスの点をしっかり指摘しています。
日本との差分は考えてみてください。日本でもポップ的に遊説をする候補者はいますが、そのやり方が拡散するためには何が欠けているかを。