竹井邦晴:研究費は科学技術への先行投資であり、全てが成功するわけではありません。これは「選択と集中」に該当しない研究題目も同じことが言えます。このような研究開発を「馬券」などに例えるのは良くないと思います。資金を投入している研究開発が全て成功していれば、恐らく日本は技術で最先端を行く非常にリッチな国になっているかと思います。そして馬券と同じなどと揶揄することが拡がってしまうと、結果が出そうな分野のみに研究資金が投資されるようになってしまいます。近い将来成功しそうな研究に投資するのであれば成功するかどうかある程度検討が付くかもしれません。ただそれでは、今(近い未来)はいいかもしれませんが、将来(例えば10-20年後)の新しい科学・技術は決して生まれないため、将来苦しむことになります。近い未来と遠い未来の両方を見ながら投資しなくてはならないので非常に難しいところです。またこのような状況は海外でも同様です。 ただ研究費の「選択と集中」には賛否両論あり、研究資金のある(すなわちこれまでに何か成功してきた、もしくは非常に魅力的な研究を行っている)研究室に更に研究資金を投入することに繋がるため、一部だけが潤うという現象が生じてしまいます。日本は全体の研究レベルを上げていかなくてはならない状況であるため、資金があまりないけど頑張っている研究室にも配分して、全体を底上げすることも必要かと思います。ただ未来を見据えた投資になるため、本当にどれが成功して、どれが実りがないものになるかは予測するのが難しいです。(Read more)
橋本 省二:おいらも一発当ててノーベル賞。科学者になろうという人なら一度は夢想したこともあるのではないでしょうか。もちろん好きでやっていることではあるのですが、そこは人間ですから人から褒められるとうれしいし、立派な賞をもらうと誇らしいのは本音でしょう。よし、ノーベル賞を獲る。そう決めたとして、何を研究すればいいでしょうね。有望そうに見える研究にはすでに多くの研究者が成果を競っている。かといって、そこから外れるとぱっとしないように見える。ではどうするか。そこから先は個々の考え方次第です。 国全体の政策にも似たところがあるような気がします。すでに盛り上がっていて有望そうな分野は、世界中で多くの人が競争していて少々の予算をつけても頭ひとつ抜け出すことは、いや、遅れずについていくことすら大変なことです。だから、「選択と集中」が成功するためには、現在盛り上がっていないけど将来当たりそうな研究を探し出すことが必要です。でも、お役所にそんなものがわかるはずはありません。審査委員に選ばれた有識者だってそんなには違いません。誰もわからないからこそ、今のところ盛り上がっていないのですから。そもそもやっている本人すら、どこにつながっていくのか予想できない。それが研究です。 だから、無理して選択しない、集中しないのがおそらく最適解だと私は思います。特に、全体的に削ってどこかに集中するのは、成果が見込めない一方で衰退するのだけは確実です。それが今の日本で起きていること、というのは言い過ぎでしょうか。 一方で、あいつらけしからんと思う人の気持ちはわかります。大学教授なんて週に2回くらい昼過ぎに出勤して、ぼんやりお茶でも飲んで帰ればいいお気楽な仕事。そういうイメージをもつ人は多いでしょう。論文を書かなくても首になることもない。そうなれば、若い頃は輝いていた研究者もすっかりサボり癖が身について何もしなくなることだってあるでしょう。それはうがった見方だと言いたいところですが、そうとも言い切れない面はやはりあると思います。そういうのをどうするか。これは「選択と集中」とは別の課題ですが、真剣に考えるべきことには違いありません。(Read more)
大谷栄治:科学研究も技術開発も見通し通りすすまないケースが良くあります.失敗は常にあります.それを無視して資源を集中化でするのは,非常に危険なことであると思います.国の科学技術政策を策定する場合には,外れた場合へのリスクの分散を常に考えておくことは不可欠だと思います.現在の科学技術政策は,はずれるリスクを深刻に考えていないように感じます.人間の予想は外れることが常なのですが,研究を持続していると思いがけない成果に当たることもあります.博士の学位ある人,科学・技術現場を経験した人の科学技術政策でないととても怖いと思います.はずれた場合のリスクを回避するために,過度の集中化を避けて,一定程度の予算の分散を継続して,新たな発見の種(シード)をまいておくことを強く要望します.最近の10数年は,予算がほとんど伸びずに,集中化が目立っています.過度の集中をに直して,集中と分散のバランスをとる時期に来ていると強く思います(Read more)