アリストテレスは偉大な哲学者と評価されています.
ピーター・アトキンス著『ガリレオの指』早川書房p.106-8によると、「古代ギリシャ人は、物体の運動について誤った議論をし、二千年にわたって世界を混乱させた」例としてアリストテレスを挙げています.「矢はその背後の空気の渦巻き運動によって飛びつづけると考え、だから真空中ではすぐに止まってしまう」、「地球を中心に置き、それを順に、水の球、空気の球、火の玉で包み、全体を天の水晶球に収めた、入れ子状の球構造を想像している」と結論したとあります.
現在の科学の視点でこれを論じるのは適切でないのは理解しています.しかし、こういったアリストテレスの言説が二千年にわたって西欧社会で権威をもって受け入れられていたのはなぜでしょうか?これが第1の質問です.
p.107の注に「本書を読むうちにこの二千年間でほかにも同じように珍妙な誤信があったことに気づくだろうが、少なくともそれらにはアリストテレスのものよりきちんとした根拠がある.」と書かれているようにアリステレスの観念的な探求方法は、現在でいう自然科学(物理学など)には不向きであったのでしょう.ただ、自然現象には自分では説明できないものがあるという認識は、アリステレスにはなかったのか?森羅万象すべてを説明するという探求心は評価しますが、それが誤っているという可能性については考えなかったのか.「現時点では説明できない」という選択肢は当時では無理な要求だったのでしょうか?それとも可能性はあったのか?これが第2の質問です.
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