akito:なるほど、「アイドル文化」「推し」「ホスト狂い」等々といったことばが、日本の子育てに起因する特徴的な日本社会の有り様と関係しているとお考えなのですね。すばらしいご慧眼です。
日本社会は高度経済成長期からモノづくりでの技術立国、バブル時代と進む中で、物質的繁栄を強めて行きました。しかしながら、社会的には、戦後に喪われ徹底的に弱体化した文化を、なんとか古伝を継ぎ接ぎして甦らせたり、国内で横展開して掛け合わせて補ったり、海外から新風を引き込んだりして建て直していっただけの、非常に脆弱な有り様でした。特に価値観の衰退は大きく、国家総動員による物資の供出や贅沢の徹底排除(魔女狩りめいた)は、文化を愛でる余地を根刮ぎ奪い取ったのです。
このため、日本は文化劣等国で、文化弱国です。伝統工芸や歴史があるじゃないか、古典芸能もあれば、素晴しいコンサートホールにオーケストラの楽団もあるし、マンガアニメは日本が世界に誇る文化だ、なんて話をえらい人はしたがるでしょう。しかしながら、日本では「趣味」について真正面から取り組み愉しむ人は少数派で、なんなら変人扱いです。
せいぜいがハイソで華々しい、お見合いの場で仲人マニアが高らかに宣言するような「ご趣味」であったり、履歴書の片隅にほそぼそと書かれるようなさして好きでもない「趣味・特技」あたりが市民権を得た部分で、それよりもマニアックであったり、強い熱量を篭めた「趣味」は、異端の業だったりします。
たとえば趣味のため、好きなもののために人生のかなりの部分を割く人びとを、嘲笑ったりします。古典落語にしばしば出てくる「道楽者の若旦那」が、趣味人の原型のひとつですが、この好きなもののために、家業そっちのけで金も時間も注ぎ込む姿を日本人は褒めません。それだけ豊かだということなのに。日本人はこれに憧れるわけでも、褒めそやすわけでもなく、ただただ呆れるわけです。勿論、身代潰すような注ぎ込み方は賛成するものではないわけですが、潰れない程度に身代を削って趣味に生きるのは、豊かさの証左であろうと考えるのです。
今日ではいくらかマシになってきた「オタク」呼ばわりも、つまるところは日本の文化的な貧しさの表出です。人生曲げるぐらい趣味を強く持つ生き方を、理解するだけの文化的な包容力を有さないわけですからね。「アイドル文化」のように独自の世界観を持ったり、生活の軸を「推し」にもおいたりすることを、一生懸命「へんなこと」に仕立てようとする心性はとてみもの悲しいばかりですね。まだこんな状況か、と。
なお、「ホスト狂い」はちょっと現状理解が足りてないので省いてます。スミマセン。
人生百年時代と言い、豊かな社会を作るには教養と文化が欠かせません。つまりは「オタク」にちゃんと全員がならないといけないということです。別にアニメやアイドルや漫画を消費しろ、とかではなくって、絵画でも俳句でもキャンプでも料理でも良いので、人生の選択肢の軸に趣味を入れて、人生を曲げても構わない包容力を社会が持つように進む、ということですね。
さて、こんな状況は日本の子育てに遠因があるでしょうね。特に古い価値観(戦中戦後にドサクサにでっちあげられたニワカ)をきちんと廃棄していないのが大問題なので、敬老精神とかは四半世紀ぐらいは脇において、どんどん変えていくのが大事かなと思います。
……なんかご質問のご期待とかからすると若干方向性が違うかもしれませんが、笑ってスルーしていただければ幸いです。