福島真人:社会の構成要素の中には、何らかの弁別や区別は常に存在しており、例えば入試や会社の就職などすべてそうした選別のシステムです。他方、優生思想というのは、疑似科学的な思想に基づいて、劣位者と考えられる集団を組織的に排除、抹殺するという考えですから、前者の選別過程をすべて優生思想と同一視してしまうと、ありとあらゆる選別(選択と集中を含めて)は不可能という、極端な主張に陥ります。
問題は、優先的に予算を充てるという考えが、前者の通常の選別なのか、それとも後者の優生思想なのかということですが、ご自身がいうように、予算が有限のため、その社会での同意に基づいて優先順序をつけることを優生思想と呼ぶのは無理があると思います。むしろ人口学者のトッドが主張するように、我々の社会で介護の関して予算を増加する一方で、教育予算は増えない現状はその背後に儒教等の影響があるのか、と自問してみることの方がより面白い問であるような気がします。