憲法は国家権力の暴走を抑止するものであるはずなのに、国民の義務が日本国憲法で課されている(国家ではなく国民に制約が課されている)のはなぜでしょうか? 特に勤労を義務としていることには疑問があります。例えば、投資家として生きている人や年金・生活保護などの社会保障で生きている人は憲法違反なのでしょうか? また、よく言われている「AIの発展によって仕事が減り、雇用が脅かされる」が本当だとすれば、将来的には「国民の義務」を果たせない人が増えるように思えます。仮に上述のAI悲観論が本当ではないにしても、加速する高齢化によって労働人口が減り、やはり「国民の義務」を果たせない人が増えるように思えます。 このようなことを踏まえると国民の義務として勤労を規定するのは時代錯誤なように思えるのですが、それでもなお残す意味のある義務なのでしょうか?

勤労の義務を憲法に入れたのは社会党だったと言われているそうです。社会主義・共産主義では資本家は「不労所得」を得る好ましくない存在と考えられています。つまりこの義務を入れることで日本から不労所得を得る好ましからざる階層を抑制しようとしました。

経緯をまとめた人がいて出典もついています。興味がある人はぜひ読んでみるといいでしょう。

残すべきかについては人によって意見はさまざまだと思いますが、そもそもの趣旨を間違って理解してしまうとその後の議論には支障が出ます、まずは出発点は正確に押さえておくべきでしょう。

「憲法は国家権力の暴走を阻止する」という言い方は左派によって盛んに喧伝されています。左派は戦後の日本で政権を担当する機会があまりなく政治権力を抑制する側に回ることが多かったため少し歪められていると思います。

憲法は国民主権を基点にしています。複雑な国家を直接民主主義で運営することはできませんから必要な権限を必要な人に委託できるようになっています。この委託プロセスを定めたのが憲法です。必ずしも国家権力と国民を対置して対立を煽って牽制しているわけではありません。

GHQの原文を読むと「一部の人たち(the part of the people)」が権力濫用することを警戒しているだけで、権力者という存在を国民に対置しているわけではありません。そもそも権力者を国民から分離する「封建主義」を敵視している憲法草案なので新憲法下で権力者という階層を分離した憲法を書くはずもないわけです。

The freedoms, rights and opportunities enunciated by this Constitution are maintained by the eternal vigilance of the people and involve an obligation on the part of the people to prevent their abuse and to employ them always for the common good.

1 year ago

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