小川仁志:適性がないと告げるのはやはりハラスメントに該当すると思います。入試を適正に実施し、入学の基準を満たさないならわかります。そうではなくて、指導教員の主観、あるいは好き嫌いでそのような恣意的な発言をするのは、許されないと考えます。たしかに、自分が指導するうえで難しいと感じることはあるかもしれません。でも、学びたい人間を拒絶するには、客観的な理由が必要です。そもそも学ぶことは万人に保障された普遍的な権利なのではないでしょうか。何より、適性があるかないかは、本来誰にもわかりません。人間には無限の可能性があるからです。その可能性の芽を摘む権利は、誰にもないといえるでしょう。ただ、本人のためを思っていうなら、もっと別の伝え方があるはずです。たとえば、自分の経験から、本人が苦労する可能性があることを客観的データを示して伝えるなどの方法です。それもハラスメントととられかねない可能性はありますが、どうしても伝えたいならそうやって親身になった方が本人にとってはもちろんのこと、指導教員自身にとってもましだと思います。それでも本人がやりたいといえば、受験を拒むことはできませんし、合格したなら受け入れを拒否することなどできません。信じることも、奇跡を起こすことも、教師にとって大事な役割の一つだと思います。それは高校までの教師も大学教授も何ら変わらないと思います。大学教授にだけ、学びの権利を拒否できる特権など到底認めることはできないでしょう。そのような特権があると思っているなら、それこそ大学教授としての適性に欠けるといえます。(Read more)