山下澄人:そうします、そうしませんこうします、とこたえりゃ済むものほど質問は難しい。なりきるのか観察するのか。なりきるというのはどういうことか、観察とは。となる。演技でよく「なり切る」と聞くがそんなはずはなく、わたしは昔いわゆる没入型といわれる、憑依型か、巫女みたいな「オオタケシノブ」がサリバン先生を演じたヘレン・ケラーの生涯を演劇にした『奇跡の人』を見たことがあるがヘレン・ケラーも誰も舞台から落ちたりしなかった。なりきっていれば落ちたはずだ。ならただ演者は自身も含め観察しているのかというとそういう風にも見えなかった。あちこちアザだらけになるだろうなと思いながら見ていた。別人のようだ、とよくいうが別人になっていたらどれがその役者か誰もわからない。そんなことはない。いずれにしてももっと別の言葉がそこには必要なのだけど「なりきる」という言葉ほどキャッチーなものはまだない。小説はもっと別の何かで、書くということはどういうことかを考える必要がある。書く前にもう書くことがあるのか、ないのか。あるというのはどういうことか。ないというのは。書きながら考えるのは書き方のことか。それとももっと違う地面の底がぬけるようなことか。こたえになっていませんがぜんぜん変わった質問じゃないし、あれこれ考えることができて楽しいです。