舟橋 秀晃/FUNAHASHI Hideaki,Ph.D.:■基礎的な学術水準をリード?
「基礎」はベースやボトムを指し、「水準」は平均ラインを指し、「リード」はフロンティアやトップを指すので、問題を三つに分けてみましょう。
■基礎の補充は◎
学校・塾・予備校・大学などの違いにかかわらず、全ての指導者はいま各々のフィールドで、20世紀行動主義教育学の誤り(罰や報酬などの外発的動機が非人間的な学びを招く側面)に留意しつつ、学習者を内発的に動機づける方策に力を尽くしていることでしょう。
たとえば、以前なら面白おかしい語呂合わせで詰め込めばよいと思われていた片々の知識ですら、いまは、本質的な説明で断片的知識の奥にある意味の繋がりに気づかせる形で教え、学問そのものへの知的好奇心をいざなうよう努力する指導者が多数を占めているはずです。
わが国の教育は教育基本法第1条により「人格の完成」をめざすことになっていて、各学校は全人教育のために活動しています。それは、志望校合格を最優先し資本投下(時間的・金融的・社会的)の最小化で効果の最大化を得ることをねらう立場からは、効率が悪く見えるかもしれません。
これに対し塾や予備校は志望校合格をめざし有償で加わるものであり、編成されるクラスは志望校の難易度や種類ごとに細分化された合目的的な集団です。そしてプロ講師は、学校で知識や技能をうまく構成できなかった各受講生の課題や傾向に沿って、はじめは語呂合わせや細かいテクニックなど、学校とは異なる方法も試して「できた」実感をまず与え、やがては学校と異なる切り口で、片々の知識間の意味の繋がりに気づかせていくことでしょう。「キャラが立つ」・「教え方が巧み」・「強い印象」のいずれも、学校の教え方がヒットしなかった受講生に学校と違う方法論で記憶を残す《もうひとつのルート》として、そこでは機能しています。
国立情報学研究所運営の文献データベース「CiNii Research」で「予備校
動機づけ」と検索すると、次の論文が現れます。このようにして文献を検索し、引用されている文献を芋づる式にたどれば、一定量の先行研究群に出合えることでしょう。
【検索例】白石よしえ(2012)「なぜ、予備校の教室には「笑い」が必要か :
笑いが予備校での学習に効果をもたらすメカニズムを動機づけスタイル理論:反転理論から考える」、日本笑い学会『笑い学研究』19巻、128-140. https://www.jstage.jst.go.jp/article/warai/19/0/19_KJ00008157777/_article/-char/ja/
■学術のリードは△
独りの子どもを大勢が各々の立場から教えている状態で、学校か塾・予備校か、どちらの手柄かを判断するのは困難です。ただし非常に多くの児童生徒が、家庭(家庭教師も含む)や塾・予備校の場での反復や演習による補充を受ける基盤の上に学校教育が成り立っている事実は、否めません。
その一方、塾など有償の教育を受けられず、学校の公教育にのみ頼る子ども・家庭がかなりのボリュームで存在し、その中から日本のフロンティアをリードする人が実は多数出ていることにも留意が必要です。ノーベル賞だけで論じられるものではありませんが、日本のノーベル賞受賞者の大半が、地元公立高から地元国立大に進んだのは事実です。ただ、彼らが塾や予備校をどう利用したかを示す資料は、管見では見当たりません。
【参考資料】本川裕「社会実状データ図録 日本人ノーベル賞受賞者の出身高校・出身大学」(2023/03/05閲覧)http://honkawa2.sakura.ne.jp/3934.html
■水準の維持は○
大学研究者をめざす者がポストを得ようとしても、研究実績が出るまで下積みが必要でしょうし、ポストが空くのを待つ必要もあります。中には、大学院生や院を単位取得満期退学した人が、塾や予備校で食いつなぎ研究の時間をかせぐ場合もあるでしょう。各産業界から大学に加わる「実務家教員」というルートが広がる昨今、その比重は以前より低下していますが、日本に多く存在する塾・予備校が、人材供給の調整弁として大学を支える機能を果たしてきた側面は否めません。
質問者の方はこんなことを尋ねたかったのではないでしょうが、結果的には、こうした良質の人材が、塾や予備校の水準をも引き上げている可能性は充分ありそうです。
【参考資料】潮木守一(2011)「大学教員の需給アンバランス :
今後10年間の推計結果をもととする(人文科学系・社会科学系について)」、広島大学高等教育研究開発センター『大学論集』42号、125-141.
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/list/HU_journals/AN00136225/--/42/item/31438