堀田隆一:まず,たいへん難しい質問だと思いました.その後,なぜ難しいのだろうかとしばらく考えました.その結果,こちらの質問には様々な前提が含まれており,その辺りを整理するところから始めるのがよさそうだという結論に達しました. 質問者の前提・問題意識として,次の3点があるのではないかと考えています. (1) 一般に,言語は他言語との言語接触を通じて単純化する傾向がありそうだ (2) 実際,英語という言語は言語接触により形態論の分野において単純化してきたという歴史的事実がある (3) ところが,英語は音韻論の分野においては単純化しておらず,むしろ複雑化しているようにもみえる(→これはどういうことか!?) この3点のうち,回答者は (2) については(細かな議論はあり得るものの)大きな異論はありません.しかし,(1) と (3) の前提については疑問を抱きました. まず (1) について簡単に述べます,言語接触により言語が単純化するケースもあれば,かえって複雑化するケースもあります.例えば,言語接触の極端な事例としてピジン語の形成をイメージすると,言語接触はすなわち単純化である,とみなしたくなるかもしれません.しかし,接触した2言語の特徴が錯綜し,結果としてかなり複雑な言語が形成されるといった例もあります.ですので,言語接触と言語単純化・複雑化の関係は自明ではないということになります. さらにいえば,仮に言語接触の結果,形態論の部門が単純化したとしても,他の部門も同じように単純化するかどうかは,まったく自明ではありません.英語史でいえば,形態論が単純化してきたことは認めるにせよ,では(音韻論については以下で議論しますが)語彙論についてはどうかといえば,フランス語,ラテン語,ギリシア語との接触により語彙に各階層が生まれるに至ったという点では,どう考えても複雑化とみなすべきではないでしょうか. 昨今,言語単純化・複雑化の問題それ自体が言語学上の大論争となっています.ましてや,言語接触がその問題にどう絡んでくるかは,さらなる大論争となり得ます.ここでは深入りすることは控えておきましょう. (3) については,もう少し具体的に議論できますので,そちらに集中したいと思います.私の考えでは,英語の音韻論が歴史的に(言語接触を通じて)目に見えて複雑化してきたという印象はありません.上でも示唆したように,何をもって単純化・複雑化とみなすかは,かなり難しい問題ではあります.しかし,とりあえず音素の一覧が歴史的に拡大してきたか縮小してきたかという観点でみますと,古英語から始まり中英語と近代英語を経由し現代英語に至るまで,消えていった音素もあれば新しく生じた音素もあるので,単純化でも複雑化でもないように見えます.隣接する時代で比べれば,当然ながら相対的に音素の種類が増えた,減ったといったことはあるわけですが,全体をならしてみると,およそプラスマイナスゼロであり,劇的な変化はなかったとはいえそうです. もう少し具体的にいえば,例えば2モーラ母音(=長母音と2重母音)を考えてみると,古英語から中英語にかけて2重母音系列はほぼ消えて「単純化」したかにみえますが,その後,近代英語にかけて2重母音系列が復活し,そこそこ「複雑化」して現代に至ります.言語接触が原因かどうかは別にして,長い歴史を見渡すと,単純化した時期もあれば複雑化した時期もあるのです. 子音についても同様で,古英語から中英語にかけて少数の音素が消えましたが,近代英語にかけて新しい音素が現われました.プラマイゼロに近い感じです.やはり,全体をならせば単純化でも複雑化でもないと思うのです. 「音韻」の単純化・複雑化の話題では,比べるレベルも問題になります.上記では英語の「音素」レベルで話しを進めましたが,質問者が比較している日本語の「い」と「ゐ」の合一(単純化)の問題は,実は「モーラ」レベルの話しです.英語でも「音素」レベルではなく,「音の組み合わせ」レベルや「音節」レベルであれば,話しは変わるかもしれません.いずれの単位に注目するかで,単純化・複雑化の議論も180度異なるものになり得ます. 今回の質問は,言語の単純化・複雑化とは何かということに連なる,かなり大きな問題だったと思っています,ありがとうございました. 言語の単純化・複雑化の込み入った議論については,こちらの記事をご覧ください.(Read more)
Anonymous:言語の歴史的変化の一般的傾向として,よりシンプルなものに移行するということがあり,他言語との言語接触がなくても,その言語コミュニティ内でより効率的な言語使用を求めてそう変化するのだと思います.昔の日本語には係り結びがありましたが,現在は消失している等です.最近の「了解しました」→「り」等は定着することはないでしょうが,やはり無駄を省いて効率化するという力が働いています. 英語の音声変化については,15世紀頃に起きた大母音推移という現象が有名ですが(英語ほど発音と綴りが一致しない言語はないと言われるのはこれが原因です),これもより楽な発音をしようとしたこともその一因であるように思います.knifeは現在はナイフですが昔はクニーフェでした.ナイフのほうが発音が楽ですね.日本語でも,古い映画やTVドラマなどを観ると昔は今よりハキハキと発音していたと感じますが,逆に言えばだらしない発音のほうが楽だということでしょう. 質問者様が「英語では逆を行っている」と言われるのは,国や地方によって発音に多様性があるということを指しておられるでしょうか.その場合は同じ日本語でも方言によってずいぶん発音が違うということと同じように考えられるでしょう.つまり,仲間うちで特定の話し方を共有することで,それとは違う話し方をするよそ者を見分け,排除することができます.言語には特定集団の身分証明書のような機能もあり,それゆえ言語多様性が生まれます.業界用語や若者言葉も同様です.世界中の人々が同じ1つの言語を話せればいいのにとも思いますが,このような理由で絶対にそうはならないと思います.(Read more)