りょうち:私たちが生きているうちは、大きく変わらないのではないかと思っています。
きっと、意思決定を必要としない多くのことは自動化される(されてきている)し、簡単な意思決定はAIがしていくことになると思います。
でも、難しい意思決定は、きっと私たちの手元に残ったままだと考えています。
理由は、日本ではゼロリスク思考が強く根付いていて、データを国家または一企業に渡さない/渡すことを許さないためです。
AIは(今のところ)質の良い学習データを必要とします。
質の良い学習データは、まだインターネット上には転がっていません。
よって、難しい意思決定をするためには、企業を含む私たちがデータを提供する必要があります。
でも、きっと、何となく嫌だ、と思いますよね?
では、他国・他言語で学習してみてはどうでしょうか。
最近話題のChatGPTですが、日本語版はまだまだですよね?日本語の学習データが足りないためだと思います。
日本人の感覚は日本語でないと理解できないと思っています。(日本に限らず、ある国の感覚はその国の言語でないと理解できない)
つまり、日本では十分な学者データがなく、そのままでは、いつになっても高度な意思決定はできないだろうと思われます。
自分の仕事を含む、世の中の仕事が高度な意思決定だけだなどと言うつもりは全くありませんが、それなりにありますよね。
空気を読むとか、相手を慮るとか、答えのない問いだとか。
そういったものは、強制的にデータを民主化させないと難しいでしょう。
でも、それが悪いことばかりかどうかは、現時点では分かりません。
仕事の多くをAIが担っている世界線で、日本だけがまだ人間の手と頭で仕事をしていたとしたら?
そして、今の世の中では全く予期しないことが起こったとしたら?
世界を変えるのは、世界を救うのは、日本人かもしれません。