矢代 航(Wataru Yashiro):参考になるか分からないのですが、以下はあくまで私見です(参考にならなかったら、スミマセン)。
まずは誰でも言いそうなことから、です。基本は、質問する前に、関連する専門用語を、ある程度までは勉強しておくことかな、と思います。これはエンジニアに限らず、会話における一般論ですよね。分からない言葉が一つだけでしたら、「それは何ですか?」と聞けると思うのですが、三つ以上になると、もはや会話が成り立たなくなりますように思います。質問を受けた側がどんなに親身に答えようと思っても、互いが理解できる共通の言葉がないと、質問に答えることができないのです。
次は、ちょっとした言葉使いです。エンジニアは専門的な知識や経験をもっていて、プライドが高く、親身に答えてくれない場合も多々あります。質問する相手に「こんなことも知らないのか」と思われないように、ちょっとだけ言い方を変えてみるのも手かもしれません。もちろん開き直って、「私は素人なので教えてください」と相手に敬意を持って伝えるのでもよいのですが、工夫次第で、返ってくる答えが変わってくるものですよね。「分からないので教えてください」という代わりに、例えば、「ここまで勉強してみて、自分なりにこのように考えてみたのですが、この理解で正しいものでしょうか?」、「大学時代の先輩からはこのように教わったのですけれども、専門家からみて、どうなのでしょう?」などと聞いてみたりすると、うまくコミュニケーションが取れるかもしれません。
安部公房の小説「箱男」に、「見ることには愛があるが、見られることには憎悪がある。見られる傷みに耐えようとして、人は歯をむくのだ」という謎めいた言葉があります。私は文学者ではないので、この言葉の解釈について議論するつもりは全くないのですが、人間社会の情報の流れって、こういうものなんじゃないかな、と感じました。
「見られる」、つまり情報を持ち去られることには憎悪がある、「見る」ことはその逆、というわけです。「分からないので教えてください」と聞くと、聞く側に何の悪意がなくても、「あなたがもっている情報を持ち去りたいので、ただで与えてください」というふうに聞こえるのかもしれませんね。ちなみに、人間ではなく、サルが、見られることに憎悪を感じるか、専門家のお話をうかがってみたいところです(「人間は猿ではない」
from 安部公房)。
もう少し考えを進めると、情報というのは、双方向に流れがあると、入手しやすいものなのかな、と思います。例えば、ご年配のエンジニアがなじみのない最新の技術を若い人が知っていることもありますよね。簡単に言えば、give
& takeですが、情報というのは、情報を多く入手できる人の下にさらに集まるものなのかもしれませんね。