憲法や法令はなぜ抽象的で曖昧なのでしょうか。 解釈の余地のない厳密な条文を作らずに解釈の余地を残してしまうことは、人を裁くうえでは不適切に思います。数学的に、倫理法則を公理として記述し、定理として憲法や法令を作るべきではないでしょうか。 「解釈の余地を残し、様々なケースに臨機応変に対応するため」という答えが想定されますが、倫理法則が公理として記述されていれば、定理(憲法や法令)に明記されていなくても、罰するべきかを論理的に機械的に導くことができ、反論の余地のない判断をできるのではないでしょうか。 また、「数学的に、倫理法則を公理として記述し、定理として憲法や法令を作る」というのが「現実的でない」「難しい」という答えも想定されますが、公理を設定せず、人の感情や善悪といった曖昧なものをベースに論理を積み上げることはできないため、論理抜きに人を裁くこととなってしまう事態になってしまい、これは不適切に思います。宗教的に強制的に倫理法則を公理として記述するべきではないですか。
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