誰かが「何か」をする。それを別の「誰か」が見るなり聞くなり読むなりする。暴露する。その時起こる興味なり無視なり「それ」を何と言葉にしていたか忘れましたが映画監督のゴダールは「禁止取り締まることはできない」というようなことをいっています。「何か」をするのは取り締まれても感染は取り締まれない。評はこの段階で始まります。まだ閉じたものですがしかし評は思わぬ働きを見せる。ウイルスの動きに似ています。拡散し変異する。あっという間に収束してしまう事もあれば、パンデミックにもなる。それらすべては「評」によって起こる。行われた「何か」でではなく。存在の意義も何も仕組みの話です。仕組みが嫌なら盗み見られてはいけない。カフカは自分が死んだら原稿はすべて焼けと友だちに頼んだけど頼んだりするから焼かずに友だちは残し発表した。消してしまいたけりゃ自分で焼くべきでした。

2022/02/02Posted
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