ikeken:佐々木先生がすごい回答を書かれているので、手短に違う視点から。
まず、「分断が起きた方がいいか」というのは不思議な言い回しですね。分断の中身に着目しないといいとも悪いとも言えません。おおざっぱな言い方をすれば、分断には認識の非共有と、判断ないし対応策の非共有があるかと思います。
認識の非共有とは社会的な出来事のリアリティが社会の中で共有されておらず、異なるリアリティを持つ複数の集団に分割されていることです。
あの選挙は盗まれたものだ、というトランプの認識は社会的に共有されていない。そう認識している一派とそうでない多数派がいる。
あるいはプーチンの主張にもよく似た側面があるでしょう。これは悲劇です。対話の余地を失うものです。
一方、社会的な出来事のリアリティが共有されていても、それに対する対策が共有されていないような場合には、対立する党派の間の分断も、ネゴシエートないし、対話したり、うまくいけばアウフヘーベン、悪くすれば革命になっても、そのプロセスの中でおっしゃるような「新しい概念」や「新しい秩序」が生まれる可能性も見いだせるかと思います。が、そこには基本的に出来事の認識の共有が先立たないと社会の分断を残したまま、ということになるかもしれません。