「運が良い・悪い」と「人間としての何か」との関係ということですね。そもそも「運が良い」という表現の意味をよく考えないと何も話は始まらないと思います。「あの人は運が良い」と表現したくなることは確かにありますが、それはどういう意味なのか。

あくまで私の想像ですが、「特に大きな努力をしているようにも見えないし、何かうまくいく合理的な要因も見当たらないのだけれど、何かしら好ましい結果が得られた人」に対して「運が良い」と表現することが多いと思います。

といっても、実際に努力をしたかどうか、合理的な要因があるかどうかというのは客観的に判断できるものではなく、単なる想像や外野の勝手な見立てであることが多いでしょうね。

ということは「運が良い」というのは先ほど書いたようなアバウトな状況を短く言い表したものであって、特に決定的な判断ができるわけではないのだと私は思います。そのように考えるなら「運が良い・悪い」というのをその人の「人間的な何か」に関連付けようとするのは、少なくとも直接的には変な話です。

それでは「運が良い・悪い」というのはまったく意味が無いかというと、そうとも思いません。たとえば自分に対して使うとします。「どうも最近運が良いことばかり続いているぞ」というときに「調子にのってはいけないな」と我が身を振り返ったり、「誰か自分のことを助けてくれたのかな」などと自分のまわりを見わたしたりというきっかけになってくれるからです。

こんな場合もあります。「あの人は運が良い人」というのは一種の決めつけだったり、本当の理由や原因を探ることを放棄していることもあります。いい結果を出している人を見て「運が良い」のようにアバウトにラベルを付けてすぐ終わりにするのではなく、「本当に運なのだろうか。その態度や考え方の中に、少しでも自分にも何か学べるところはないだろうか」のように考えるのは建設的なことだと思います。

また「運が良い人」に限らず「○○な人」という表現は注意して扱った方がいいですね。「○○な人」というと、その人にしっかり結びついている属性のように感じがちです。しかし、注意深く考え、「運が良い人」という表現を「まわりの人から運が良いと見なされるようないい結果を自然に導く考え方や行為をする人」の省略形と見なすなら、「考え方」や「行為」の方に注目できるからです。

そんなふうに思います。

2022/03/21Posted
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