英語に限りませんが,ほとんどの場合,スラング(俗語表現)は誰が生み出したか,という質問にズバリ答えることはできません.噂の出所を特定するのと同じくらい難しい問題です.一方,スラングはどのように生み出されたのか,という質問にはヒントがあります.

 まず,誰がスラングを生み出したか,という質問について考えてみたいと思います.スラングの誕生は新しい語・表現の創出ですので,広い意味では語彙における変化の一種です.語彙,発音,文法などの言語変化は日常茶飯ですが,ほとんどのケースで,その変化の主を特定することはできません.非常にまれに芸能人や政治家などの有名な個人が新語を造り出し,流行語となるケースがありますが,そのようなケースは例外中の例外です.通常は,どの個人が言語変化をもたらしたか,後になってから特定することは不可能です.

 しかし,変化をもたらした個人は特定できずとも,どの辺りの社会集団で変化が生じたかは突き止められる場合があります.例えば「渋谷の女子高生たち」とか「言語学者のサークル」とか「東京へ通勤・通学する東海地方の人々」とか「日英語のバイリンガルたち」とか,詳しく調査すれば,その程度までは分かることがあります.これは20世紀後半からの社会言語学という分野の進展によるところが大きく,「誰が言語変化をもたらすのか」という質問に最も鋭く迫る,現在における言語学の到達点にして限界点であると言ってよいと思います.

 英語のスラングの誕生についても,同じことが言えます.出所について「アメリカの大学生たち」とか「スコットランドの労働者階級」とか「ニュージーランドの軍隊」とか,そのくらいまでは迫れるかもしれませんが,その内部の「特定の誰が?」ということになると,ほとんど判明しないでしょう.

 次に,スラングはどのように生み出されたのかという質問に移りましょう.スラングは,まったく新しい語・表現が生み出される場合もあれば,既存の語・表現が異なる意味・用法で用いられることもあります.いずれの場合でも,スラングがある社会集団内で生み出される動機は「新しさ」「親しさ」「力強さ」の追求です.そのモノを指す既存の語・表現があったとしても,それでは新味がなく,おもしろみがないと感じられたとき,精彩を放つ,しばしばショッキングな代替表現が生み出されます.

 また,そのようなスラングは,少なくとも生み出された当初は,他の集団には通じないことが多いので,自らの集団内部の結束を高めるのにも役立ちます.自他を分ける符丁,あるいは合い言葉に近いものとなり,内部的に愛用されるようになるわけです.スラングは,このように閉鎖的な性質をもち,社会言語学的な「うま味」があるために,古今東西のいかなる集団のいかなる言語使用においても,おびただしく生み出されてきたに違いありません.

 スラングに関してさらに興味深い問題は,特定の社会集団で生まれたスラングが,一般社会に漏れ出すケースがときどきあることです.日本語において,もともとは衣料業界のスラングだった「定番」(←「定番商品」)が今では業種に限らず一般に広く用いられていますし,的屋のスラングだった「落とし前」も然りです.英語でも,アメリカの大学生が犬肉使用を迷信的に疑って造語したとされるスラング "hot dog" が,今では世界中で用いられる一般名詞となっています(これについてはこちらのおもしろエッセイを参照).

 アントワーヌ・メイエというフランスの言語学者などは,(多少単純化して紹介しますが)語の意味変化の多くは,スラングが一般社会に漏れ出すことによって生じるものだ,と喝破したほどです.スラングというと,卑俗で下品な語・表現を思い浮かべますが,実は日常的な言語変化の原動力としてたいへん重要な役割を果たしているものと考えます.

 関連して,私のブログ記事より,こちらの記事セットをご覧ください.

2022/04/23Posted
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