さて、軽く調べた範囲でお答えしますね。他の方の回答のたたき台になれば。
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ご指摘の問題を扱う記事をいくつか見つけましたが、具体的な金額に触れている記事がありました。
https://gigazine.net/news/20180420-sweden-dagen-h/
この事業に投じられた予算は、6億2800万スウェーデンクローナ(現在の貨幣価値で26億クローナ:約333億円)。36万カ所の道路標識が更新され、公共交通機関である9000台のバスで、出入口を車体の左右両方に取り付ける改造が行われました。
他方、ご質問のように「スウェーデンは1日でした」のは事実な一方、その準備がいかに過酷であったかも記事に記載がありますね。
スウェーデンの都市ヘルシンボリで交通行政のコンサルタントを担っていたアーサー・オルンさんにとって一連の事業は困難を極めるものだったとのこと。「最も大きな問題は、準備のための時間が不足していたことです」と振り返るオルンさんは、休みもなく朝から晩まで働きづめで、一時は自ら命を絶つことすら考えるほど追い込まれた状況にあったとのこと。1年前から膨大な準備に追われて全く自由のなかったオルンさんは、ついに行き詰まり、医師からの強い勧めを受けて仕事とのつながりを断つために2週間のアフリカ旅行に出たそうです。
実施は1日で終わろうとも、その準備はだいぶかかるでしょう。オルンさんは1年この事業の準備に時間がかかったと言っていますし、ご質問者の「1日でした」の部分にかかるお話です。
準備時間も含めれば1日ではなさそうですね。
またこの記事の興味深い点として、現代で実施した場合と日本への言及があることです。
このように、大成功を収めたといって良い1967年の大作戦ですが、これと同じことを現代に実施するのは極めて難しいと多くの専門家が考えています。当時は交通システムもシンプルであり、走っている自動車の数そのものも少なかったことなどもありますが、現代の交通社会は当時と比べものにならないほど複雑になっているというのがその理由。
なお、スウェーデンでの取り組みの11年後、日本でも同様の大変革が行われています。第二次世界大戦後にアメリカの占領下に置かれた沖縄では長らく右側通行が取り入れられてきましたが、1972年の沖縄返還の6年後の1978年7月30日、それまでの右側通行から日本の交通ルールに合わせた左側通行に切り替えられました。
この一大事業は、その実施日から「730(ナナサンマル)」と呼ばれ、7月29日22時から翌30日の6時までの8時間で県内の道路インフラが完全に入れ替えられました。その時の様子は映像でも記録されており、当時の沖縄県土木部の企画の下、シネマ沖縄が記録映画「沖縄730 道の記録」を制作しています。
以上の事実から考えれば、沖縄730について調べることで多少は答えに近づけるかもしれませんね。また、そもそもスウェーデンがなぜ車線の変更を行ったのかに興味を持つと、以下のような記述も目に入ってきます。
https://www.itmedia.co.jp/bizid/articles/1002/04/news076.html
1967年9月3日に左側通行から右側通行に変更したスウェーデンのことだ。当時は大混乱を予想したが案外簡単に実現したと、スウェーデン滞在中に友人に聞いたことがある。直後の交通事故は荷車がぶつかったケースぐらいだったという。スウェーデンと国境を接するノルウェー、フィンランド、デンマークのいずれもが右側通行であり、自動車による往来が活発であったことが混乱を最小限にとどめたのかもしれない。
下線の指摘は非常に重要です。まず日本の場合国境を接する国がありません。なので、車線の変更の必要性が低いのに加え、別の車線で走った人間もスウェーデンより少ないと予測ができます。もし日本がユーラシア大陸と接していて、かつ陸続きの複数の隣国が右車線ならある程度スウェーデンを模倣できそうですが、そうした周辺環境が異なります。
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以上の事実から日本で右車線に変更するのはスウェーデンの試みより多くの資金と時間がかかるでしょう。要点は以下です
スウェーデンは1967年にやったが、ご質問は現代のお話。交通量や設備が増えていると考えられる
日本はスウェーデンと違い、右車線の陸続きの国がなく、必要性や右車線を経験したドライバーが少ないと予想できる