「本質」という言葉は危ないですね。ラスボスのように、「本質」を手にすれば、それで勝負に勝てると思いがちですから。哲学的探究の狙いは、目的や課題探求を人間の営為の最重要根本構造と考え、目的を実現し、課題を解決することが人間の最重要課題であるという枠組みを相対化して、考え直すことにあります。なにしろ、人間の目的を実現し、課題を解決することは、そもそも人間が生きるということは、目的を作り出して達成したら、さらに目的を作ることですから、目的が達成されないように、目的を先送りすることです。目的は達成されない限り目的なのです。平和も真理も正義も自由も公平も非現実的である限りにおいて、現実的効力を持つわけです。ですから、現実的な目標達成に夢中になっている人に冷や水をかけるような仕事をてつがくはしているということもあります。でもそういう斜に構えた哲学ばかりでなく、大きな変革や物事を新しく立ち上げる場合に、何もないような不安定な基盤に確固たる建物をどうやって建てるのかということと同じ問題を、人間が現在という時点のうちに抱えているわけでして、そういう人間が人間である以上、過去から未来にわたって悩み続けるはずの論点を予め準備しているという点では哲学は現実的にとても役立つわけです。大きなことをしようと思う人には哲学は、現ナマと同じように役立ちますね。迷いや不可知ということにどう対処したらよいかわかりますから。本質はないというのが出来事の本質と考えられるように度量が大きくなると物事の筋道が見えてくるわけです。

1 year ago

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