彩恵りり🧚♀️科学ライター✨おしごと募集中:もし時間があるのかないのかで言えば、時間はあるよ。ただし、時間が過去から未来への一方通行であるかどうかについては極めて難しい問題で、今のところは「時間は本当に一方通行で流れている」のか、それとも「時間は見た目上一方通行に流れているように観察されるだけで、実際はそうではない」なのかは、決着がついてないよ。
まず、相対性理論における時間の相対性というのは、それ以前の古典力学が絶対時間という絶対的な時間とは異なる概念として定義されたものだよ。絶対時間の場合、どんな観測者から見ても同じように流れる時間が存在すると考えているよ。これに対し相対性理論では、時間はその観測者それぞれで流れており、どちらの時間が進んでいるのか遅れているのかは相対的にしか分からない、としているよ。相対性理論は時間と共に空間も相対的としていて、時間と空間は等価である、と考えているよ。これが、相対性理論では宇宙を「4次元時空」と捉えている理由だよ。
ただし、空間の3つの軸と、時間の1つの軸が明らかに一緒の性質を持っていないことはすぐに分かるよね。空間は原則としてどの方向にも自由に行き来できるけど、時間は過去から未来への一方通行のみだよね。このため、4次元時空ではなく「3+1次元時空」と言い換える場合もあるよ。放った矢は一方にしか行かないことに例え、時間が一方向にしか進まないことは「時間の矢」と表現されているよ。また、ブラックホールの内部のような条件では、空間も時間と同じようにある方向にしか進めず、逆方向に進むのが不可能という時間のような性質を持つ場合もあるよ。これも、時間と空間が時空としてひとまとめにされる1つの理由だよ。
【ボールを放物線上に投げた様子や、ボール同士が衝突して方向を変える様子は、ビデオを逆再生しても区別がつかないね。ミクロの世界ではこのような時間を反転させても同じ現象が起こる時間反転対称性はとても強く意識されているよ。マクロの世界では、摩擦による減速などで区別はつくかもしれないけど、ではミクロとマクロの境界はいったいどこにあるんだろう?】
では、時間の矢は存在するのか、それとも存在しているように見えているだけなのか、というのは、非常に難しいよ。例えば、放物線上にボールを投げる、2つのボールが衝突して進路を変える、というビデオがあった場合、これを逆再生しても、どっちが正しい時間の流れかを知ることはできないよね?これはミクロの世界ではしょっちゅう起きている上に、マクロの世界ならそれでも区別可能な材料、例えば摩擦による減速とかは発生しないから、時間は一方向に流れているというのはほぼほぼ無視されるよ。例えば「γ線から電子と陽電子が対生成し、これが対消滅して再びγ線となる」という反応は完全に可逆的であり、全体を逆再生しても部分を切り取って逆再生しても同じようにしか見えないよ。ミクロの世界であるほど、物理現象は逆再生しても同じである現象が多く存在していて、これを「時間反転対称性
(T対称性)」と呼ぶよ。ただし、弱い相互作用という原子核の距離でしか働かない相互作用において、T対称性が破れている、つまり時間を巻き戻した状態が成り立たないことが判明しているよ
(これはより厳密に言うと、CP対称性と呼ばれる性質の破れから判明しているよ。CPT定理により、CP対称性が破れている場合には、必ず残りのT対称性が破れていることを意味するため、このようなことが言えるよ)
。つまり、ミクロの世界では一部例外があるものの、ほとんどの場合において時間の矢が存在していないように見えるよ。
そして、もし簡単なものから複雑なものへと積み上げていくステップで考えるなら、非常に根源的なミクロの世界で時間の矢が存在しないなら、それが多数積みあがってできたマクロの世界でも時間の矢は存在しないはずだよ。さっき言った弱い相互作用という例外は、それが関与する反応でのみ効果を発揮し、それも原子核の内部で完結しているので、マクロの世界では関係のない話だよ。ところが、実際にはマクロの世界では明らかに時間の矢がある、あるいはあるように見えるね。こぼした水はコップに戻らず、割れた花瓶は元に戻らず、砂糖を溶かしたコーヒーは勝手にコーヒーと砂糖に分離したりはしないよ。さっきのボールの例だと、放物線で投げたボールが地面で跳ね続ければ、あるいはボールが転がり続ければ、摩擦で減速するよね。マクロの世界で時間の流れを認識するとき、それはエントロピー増大と関連付けられているよ。この概念は表面的な部分は理解しやすいけど、本質的な部分は私もよくわからんくらい難しいよ。かいつまんで言えば、ある一定の領域の中では、物事は秩序だった状態から無秩序な状態へとしか変化しない、というものだよ。つまり時間の矢は、秩序から無秩序へと不可逆的に変化するものを認識したものだ、というのが今のところの回答だよ。もちろん、石や木材をうまく形成して家という秩序だったものができるように、局所的には無秩序から秩序を生み出すことは可能だけれども、その時には必ずエネルギーを必要とするよ。そしてエネルギーを何らかの形で使った場合には、必ず熱エネルギーが発生するよ。熱エネルギーは他のエネルギーに100%変換することはできず、必ず余ってしまうよ。この変換不可能な余りが、局所的に作った秩序の外側へと溢れ、一定の領域の全体から見れば、全体の無秩序さが増えた状態へと進行するよ。この一定の領域は、別に部屋の1つでも、地球でも、果ては宇宙全体でもいいよ。物事の因果関係を決定する情報は光の速度でしか進まないので、無限の領域を作るには無限の時間が必要となって不可能となるから、どんな過程をしても有限の大きさの領域しか仮定することができないよ。そしてその中では、秩序は無秩序としか進行しないので、宇宙全体の時間は一方向にしか流れない、と認識されることになるよ。
ただ、具体的にエントロピーを測って時間を測定することはできない上に、時間がどっちに流れても区別がつかないミクロの世界ではエントロピーの概念が相性が悪いという難題にぶち当たっているよ。特にポアンカレの回帰定理と呼ばれる1890年に証明された数学的な定理とは相性が悪く、そのままではエントロピーは無限に逆転する、つまり見た目としては時間が反転することになってしまうよ。一方でH定理と呼ばれるものが1872年に定式化され、当初はポアンカレの回帰定理をミクロ世界と相性よく統合するのではないか、と言われていたんだけど、一方で不備も多く指摘されていて、H定理が本当の意味で定理なのかどうかは現在でも議論の渦中にあるよ。
とにかく、時間が存在するのかどうかで言えば、時空の軸の1つとして存在するのは間違いないよ。ただ、時間が空間とは全く異なる、全くの一方通行しかできない性質を持つのかについては現在でも議論中、というところが答えになるよ。