中林真幸:政府の大きさと適切な公債発行高とは,全く別の問題なので,分けて考えてみましょう。
1. 政府の大きさについて
1.1 どこまで大きくするか:社会権を保護するか否か
政府の望ましい大きさは,国民(臣民)が,政府に何をしてほしいか,によって決まります。たとえば,河川の管理や道路の整備といったインフラ投資をしてくれて,あとは財産権のような伝統的な人権を守ってくれれば良いのか,それとも,社会保障まで求めるのか,によって異なります。
日本と,ドイツ,フランス,イタリアといった大陸ヨーロッパ諸国は,社会保障を受けることを「社会権」,すなわち国家が守るべき権利として憲法で保障していますが,アメリカやイギリスは社会保障を受けることを権利とは考えず,政策的に上げたり下げたりしても良い特権だと考えています。
日本において社会権を保障しているのは日本国憲法25条ですが,この条文は,GHQが提示した草案には入っていませんでした。アメリカ人は社会権なんて認めないのですから,当然です。25条は,大日本帝国議会が,帝国憲法改正案(つまり,今の日本国憲法ですね)を審議するなかで,1919年ドイツ・ライヒ憲法(ワイマール憲法)にならって追加したものです。社会保障費は我が国の財政支出において最大の構成比を占めていますが,これは,アメリカに押し付けられたものではなく,我が国が,国破れてなおドイツにならって自主的に選んだ道の結果です。
主要先進7カ国について社会保障費が国内総生産(GDP)に占める割合を比べると,日本,ドイツ,フランス,イタリアのそれは,アメリカ,イギリス,カナダそれと比べて圧倒的に高くなっています。中間の国がなく,日本,ドイツ,フランス,イタリアと,アメリカ,イギリス,カナダは完全に分かれてしまっているのです。現代では,このように,社会権を保障するために莫大な税,社会保障費を徴収し,福祉を提供する日本,ドイツ,フランス,イタリアのような国の政府を,一般に,「大きな政府」と呼んでいます。
では,なぜ,日本やドイツは大きな政府を維持しているのでしょうか。両国の特徴として,「大きな政府」を維持することに国民的合意があることが挙げられます。日本の「大きな政府」を完成させたのは,1958年国民健康保険法と1959年国民年金法ですが,これらはいずれも,保守のなかの保守,岸信介内閣が提案しました。祖父が築いた福祉国家を守るために,孫の安倍晋三内閣も消費税の引き上げを断行しました。国民年金法第1条は,「国民年金制度は、日本国憲法第二十五条第二項に規定する理念に基き、老齢、障害又は死亡によつて国民生活の安定がそこなわれることを国民の共同連帯によつて防止し、もつて健全な国民生活の維持及び向上に寄与することを目的とする」とその目的を格調高く謳います。憲法9条については党派によって見解が異なっていますが,大日本帝国議会の判断として採用された憲法25条の精神は党派を超えて共有されているのです。左側の政治家が「大きな政府」を,右側の政治家が「小さな政府」を求めるアメリカやイギリスとは全く異なるわけです。社会保障を巡る対立があるとすれば,財源を消費税にするか所得税にするか,といった技術的な論点くらいです。
日独と英米の間にそのような違いが生じている理由として,私は,日本や大陸ヨーロッパ諸国と,英米との間における家族の役割の違いがあるのではないかと考えています。日本や大陸ヨーロッパの家族法(民法)は,扶養義務を,親が子を扶養する義務だけでなく,成人した子が親を扶養する義務としても定めています。日本やドイツでは,親の介護は道徳ではなく,子が法律上,負っている義務なのです。たとえば,1950年生活保護法第4条は,民法上の扶養義務者による扶養が望めない場合にのみ,生活保護が与えられると定めています。引退した親が貧乏になっても,息子が稼いでいる限りは,扶養義務はまず息子にあり,息子が失業するなど,親を扶養できない事情が生じた場合にのみ,国家が出動して生活保護を与える建て付けになっています。
つまり,日本人やドイツ人にとって,高齢者を支える大きな政府を維持するかどうかは,高齢者を見捨てるか否かの判断ではないのです。「大きな政府」が高齢者を支えてくれないならば,個々の家族が支えなければなりません。現役世代が引退した世代を扶養する義務から逃れることは許されません。ですから,日本人やドイツ人にとっては,「小さな政府」と「大きな政府」の選択とは,高齢者を個々の家族が別々に扶養するのか,それとも,我が国の全家族の現役世代が皆で国民健康保険料や国民年金保険料や介護保険料を出し合うのか,の選択なのです。今,羽振りが良い人であっても,親を看取るまで羽振りが良いとは限りません。そのように,個々人の経済状態にはリスクがあることを考えれば,国家という巨大な保険機構を通じてお互いのリスクをシェアする方が良いに決まっています。こうして,我が国は巨大な公的医療保険と公的年金を維持し,さらには,ドイツとほぼ同時期に介護保健も導入して,現役世代皆で引退した世代を支える道を選んでいます。
ですから,高齢者を大事にする「大きな政府」を維持すべきかどうか,あなた自身の考えを詰めたいならば,次のような思考実験をすれば良いでしょう:「私が社会に出て働き始めた後,私一人で引退した親の面倒を見る方が良いのか,それとも,私と同世代の人々と共に,毎月,一定の保険料を出し合って,皆でそれぞれの親の面倒を見るのが良いのか」。
1.2 最低限,どれくらいの大きさが必要か:インフラ整備と財産権保護のできる国家
それでは,政府はどれくらいまで縮めることができるでしょうか。アメリカやイギリスは社会権を認めませんが,G7を含む全ての先進国は財産権を保障しており,また,インフラのような公共財を提供しています。財産権が保障されず,山賊,海賊に侵され放題,盗まれ放題の国では,真面目に働いても働いた成果が守られませんから,人々は真面目に働く誘因を失い,経済は停滞してしまいます。また,インフラのような公共財は,作った人だけにその利益が帰属するわけではないので,国が提供しないと,不十分な量しか提供されません。
我が国において財産権(所有権)が確立されたのは,1670年代,江戸幕府初期です。検地によって,どんなに小さい田,畑,家についても所有者を特定し,物件名と所有者名を検地帳に書き上げ,所有者が年貢を払う限り,国家が所有権を保護する仕組みを作りました。諸大名の多くもこれに倣いました。日本の土地所有の特徴の一つは,膨大な数の小規模所有者が国土を覆っている点にありますが,こうした土地所有分布の期限が江戸時代初期の検地です。こうして所有権を保護された小農民は,地元の有力者に土地を掠め取られる懸念なく,自分たちの生産性を上げるべく努力しました。我が国の一人当たりGDPは近世を通じて上昇し,18世紀,徳川吉宗の頃には,日本史上初めて中国の一人当たりGDPを追い越し,アジアで一番,豊かな国になりました。19世紀半ばには,ポーランドやポルトガルの一人当たりGDPに追いつき,ヨーロッパの中の貧しい国々と同じくらいの豊かさを手に入れました。
我が国において,インフラ整備が本格的に始まったのも,江戸時代でした。代表的な例は,江戸の建設,利根川の東遷(江戸湾に流れ込んでいた利根川を,現在の,太平洋に直結する流路に付け替える)などの大規模な社会資本投資を行った江戸幕府ですが,諸藩においても,17世紀を通じて河川改修事業が行われ,新田開発が推し進められました。北上川を改修して大規模な新田開発を実現した伊達政宗もその一人です。
ですので,経済発展のために必要な最低限の人権である財産権を国家が保護し始め,また,国家が本格的なインフラ投資を始めたのは,我が国の場合,江戸時代ということになります。この頃の政府の大きさを,税収がGDPに占める比率で図ると,17世紀初めに30%位でした。その後,生産性が上昇しても年貢はあまり引き上げられなかったことから次第に低下し,19世紀半ばには12~13%位になります。この税収がGDPに占める比率を,国家の能力(state
capacity)と呼び,現在の先進国は,18世紀に既に12~13%程度を達成していました。たとえば,ナポレオン戦争後の英国のstate
capacityがだいたい12~13%位です。この財源のおかげで,財産権を守る警察組織や軍隊の維持,そしてインフラ投資を行うことができ,近代の成長につなげることができたのです。
近代化が遅れた大国,たとえば,中国,トルコ,スペインなどのstate
capacityは,19世紀の半ばになっても8%程度しかありませんでした。中国やトルコの場合,政治の善し悪し以前に,政府にお金がなかったのです。したがって,近代化を始めるには,政府の大きさとしては,GDP比10%台は欲しい,ということになります。もちろん,これは本当に最小限の数字です。アメリカの政府が「小さい」といっても,税収のGDP比は45%程度であり,江戸幕藩体制よりもはるかに大きな政府です。
2. 国債の発行は良いのか悪いのか,良いならば,どれくらいまで発行して良いのか
まず,国債を発行しなかった政府としては,江戸幕府があげられます。日本史の教科書には,江戸中期以降,幕府財政が悪化したと書かれていますが,これは,国債無発行で赤字,という意味です。この赤字を埋めるために時々,金銀貨の金銀含有量を引き下げる貨幣改鋳が行われたことも教科書に書かれています。が,紙に金額が刷られているだけで金とも銀とも交換されない今の日本銀行券の発行に比べると,非常に抑制的であったと言えるでしょう。財政運営の観点から見ると,江戸幕府は極めて保守的でした。江戸幕府は,寛永通宝の発行によって,我が国史上,初めて法定通貨を確立した政府です。鎌倉時代,室町時代の日本人が宋銭や明銭を使っていた歴史を振り返るならば,まさしく偉業と呼ばねばなりません。江戸幕府は,この法定通貨への信認を維持するために,国債や紙幣の発行を控えたのかもしれません。
このように,現在の我が国と比べると圧倒的に「健全」な財政を維持した江戸幕府の判断は正しかったのでしょうか。通貨の信認を守るには良い選択だったのでしょうが,インフラ整備の財源確保という意味では,やり過ぎです。インフラ整備,たとえば,利根川東遷は,現在に至るまで,関東経済を支えています。そのように,長きにわたって経済成長に貢献する事業に投資する際に,投資する年の税収のみに頼ろうとすると,投資は過小になってしまいます。インフラ投資は,今の言葉で言うならば,建設国債を発行してでも拡大すべきでした。しかも,国債のように,信用の高い発行主体が大規模に発行する債券の場合,利回りは,民間企業が発行する社債よりもはるかに低くなります。国家が債務不履行する確率は民間企業よりもはるかに低く,また,市場に厚みがあることから売りたいときにすぐ売れるため,売れないリスク(流動性リスク)が低いからです。民間企業すら高い利回りで社債を発行して投資をしている,いわんや,利回りの低い国家においておや,です。
国債は発行する方が良いとして,では,どれくらいまで発行して良いのでしょうか。この問題に対する答えは簡単です。国債を発行するには,買ってくれる投資家(家計)に利子を払わなければなりません。その国家の債務不履行の確率が高まると,家計はそれに応じて高い利回りを要求するようになります。発行する国の側からすると,発行のために払わなければならない利子が増えることになります。国債を発行して実施したい事業の経済効果に比べてあまりに高い利回りを要求されるようになれば,それは,発行し過ぎということになりますから,発行を控えるべきでしょうし,そもそも,利払いが膨らむので発行できなくなります。イギリスのリズ・トラス政権は,イギリス史上,最短名の内閣になりましたが,その原因が,まさに,国債市場の評価でした。トラス政権が発表した財政政策を見た投資家は,イギリスの債務不履行の確率が高まったと判断し,イギリス国債の価格は暴落しました(国債,社債の場合,利子額が固定されていますから,利回りの上昇は債券価格の下落という形をとります)。国債市場に不合格と判定されたトラス政権はかくして史上最短命内閣として退場したというわけです。
ですので,国債市場が機能している限り,許される国債発行残高について,自分一人で悩む必要はありません。市場の評価に従えば良い,あるいは従うしかない,が答えになります。もっとも,そう言えるのは,国債市場が機能している場合に限ります。世界恐慌期の高橋是清の財政金融政策や,まもなく退任する黒田東彦日本銀行総裁の金融政策が批判される点の一つに,国債市場の機能を停止もしくは低下させてしまったこと,があります。高橋財政によって日本銀行の国債買い取りが爆発的に拡大すると,市場という歯止めを失った軍事費は瞬く間に大膨張しました。黒田氏の在任期間中も,長期国債利回りを人為的に引き下げるための国債買い取りが大膨張しました。人為的に利回りを引き下げていた(国債価格を引き上げていた)わけですから,今の国債利回りは,買い手による我が国政府の債務不履行リスク評価を正確に反映しているとはいえません。黒田氏を継ぐ植田和男新総裁には,国債市場の機能回復に向けて,慎重な舵取りが求められています。
参考文献
中林真幸
(2022)「家父長制と福祉国家:社会保障の法的経路依存」,岡崎哲二編『経済史・経営史入門:基本文献,理論的枠組みと史料調査・データ分析の方法』,有斐閣,3-35頁。
深尾京司・中村尚史・中林真幸編 (2017)『岩波講座 日本経済の歴史 第2巻 近世 16世紀末から19世紀前半』,岩波書店。
Masaki Nakabayashi, Kyoji Fukao, Masanori Takashima and Naofumi Nakamura.
"Property systems and economic growth in Japan, 730-1874," Social Science
Japan Journal, 23(2), pp.147–184, Summer 2020. Open access:
https://doi.org/10.1093/ssjj/jyaa023
Masaki Nakabayashi, "From family security to the welfare state: Path
dependency of social security on the difference in legal origins," Economic
Modelling, 82, pp.280-293, November 2019. Open access:
https://doi.org/10.1016/j.econmod.2019.01.011