犯罪報道において、メディアが容疑者を”容疑者”としてリアルタイムに実名報道する意義と、容疑者が無実だった場合の責任はどのように考えられているのでしょうか? メディアが犯罪報道を判決前にリアルタイムに実名報道する意義として、事件が時間の経過によって風化するのを防ぐこと、実名とすることで視聴者に臨場感を持たせることが挙げられ、また、していい理由として警察という公的機関の発表であるため、というのがよく言われるかと思うのですが、納得できません。納得するために、以下のことを教えていただけると幸いです。 ①: メディアは、リアルタイムで実名報道した時点で容疑に対する罰を科していると考えます。メディアが容疑の段階で罰を科していい理由は何でしょうか? ②: リアルタイムかつ実名報道が望ましいとする根拠はあるのでしょうか?メディアが捜査中の不確かな情報を散発した結果、視聴者が感じるとされる“臨場感”とは何のことを言っているのでしょうか?刑が確定した後の整理された情報だけでは、視聴者は学びが不十分なのでしょうか? ③: “容疑者”の過去を根掘り葉掘り報じることはプライバシーを著しく侵害した行為なように思います。結果、判決が無罪だった場合に(個人的には、有罪であってもだとは思いますが)、“容疑者”に対して贖うべき責任は生じないのでしょうか?それとも、メディアの犯罪報道は全て警察や検察の発表に基づくもので、それを超えて“容疑者”のプライバシーを侵すことはないため、責任はないということなのでしょうか? 以上、回答をお待ちしております。

犯罪報道の在り方は、とても難しい問題だと思います。

一定の報道が必要とされる根拠は、たとえ個人間の犯罪であっても、犯罪は多かれ少なかれ安全な民主主義社会を脅かすものであるからです。そのため、国家として刑罰を科す手続については、一部の軽微な事件を除き、原則として公開の法廷で裁判が開かれる必要があり、それは同時に公平な裁判を受けるための被告人の権利でもあるとされます。したがって、警察等の公的機関が一定の時点において報道発表を行うのは、悪質重大で起訴が見込まれる、すなわち公開の法廷で裁判が行われる可能性が高い事件や、社会的関心が高く、民主主義社会における議論に資する事件に限定されているものと思われますし、メディアも基本的には同様の考えに基づいていると思われます。ただ、犯罪は市民の好奇心を刺激し、その報道がメディアの経済的利益につながる側面も否定できません(サスペンス映画が人気を集めたり、ミステリ小説が好んで読まれたりもしています)。そのため、事案によっては、被疑者や被害者のプライバシーを過度に暴くなど、社会としてあるべき報道の限度を逸脱していると思われるようなものもあります。過去には、そのような報道を行ったメディアが、刑事裁判を受けた人などから名誉毀損等を理由に損害賠償請求を受け、敗訴したような事案も存在します。お尋ねの問題意識は、いずれもごもっともなものであると思います。

2023/01/01Posted
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