福島真人:この理論のテクニカルな細部については専門家に任せますが、科学史/科学社会学といったいわば遠目から見た場合、この印象はパラダイムという概念の変化と関係するのではという気がします。もともとこの言葉は理論物理学者トーマス・クーンが20世紀における理論物理学の大きな変化をモデルに、科学革命、つまり基盤となる思考様式が一挙に変化するプロセスとして定式化したもので、それを他の領域にも一般化したものですが、この議論の前提は少なくとも理論物理学およびその周辺では、パラダイムは原則一つで、それが時に大きく変動するという図式です。のちにクーンは社会科学においては、パラダイムは同時に複数共存すると修正していますが、背景にあるイデオロギー的対立でデータそのものの解釈が一致しない社会科学に比べ、自然科学は経験的データによるチェックが必須のため、そうしたパラダイムの並立はないだろう、と彼は考えていた節があります。理論物理と実験物理が細かく交流する様子を歴史的に分析したのが下の最初の大著ですが、他方、後の二つをよむと、近年になって、理論と経験的検証の間の関係について、違う考えも生じているようで、クーンのいう、単一パラダイムという考えが成り立たなくなりつつある?、という印象もあります。観測・実験による経験的データがあれば、異なるパラダイム間の論争も可能ですが、それがないと異なる理論間の優越は決着のつけようがない。クーンは科学革命前後のパラダイムは相互に翻訳不能、という意味で「共約不可能」といいましたが、複数のパラダイムが併存するとその間でも共約不可能という可能性もあります。前に量子脳理論の議論を読んだときに、その理論的前提がニューロン中心の標準的脳・認知研究とあまりに違うので、後者は前者には触れないだろうと思いました。理論物理でも似たような状況が生じつつあるのかどうか微妙ですが、遠目からは興味深く眺めています。
・Peter Galison(1997) Image and logic : a material culture of microphysics,
University of Chicago Press.
・リー・スモーリン (2007)『迷走する物理学ーストリング理論の栄光と挫折、新たなる道を求めて』ランダムハウス講談社
・ザビーネ・ホッセンフェルダー(2021)『数学に魅せられて、科学を見失うー物理学と「美しさ」の罠』みすず書房