堀田隆一:とても身近でおもしろい指摘,ありがとうございます.「すごい」に2つの意味があるというのは,それぞれの用例をみれば明らかですね.例えば「すごい目つき」といえば「恐ろしい」の意味だとわかりますし,「すごい美人」といえば「並外れた」の意味だとわかります.この2つの意味をざっくり区別するならば,「恐ろしい」は感情の種類・質に関する意味で,「並外れた」は物事の程度・量に関する意味ということになります.歴史的には前者から後者が派生しているので,質から量への意味変化と言っておいてよいかと思います. この「質から量への意味変化」というのは,かなり普遍的なようです.とりわけ「恐ろしい」「痛い」「ひどい」といった否定的な感情・知覚を表わす形容詞・副詞は,しばしば感情の質そのものよりも,その感情の程度の甚だしさが注目され,結果として単なる強調表現になり下がるということが,よくあるパターンのようです. 日本語の「恐ろしく優しい」「痛く感心した」「ひどく喜んだ」のような例から分かる通り,文字通りの否定的な質の意味で解釈すると,むしろ矛盾するような表現もありますね.すでに量の意味になり下がっているということだと思います. 英語からも類例がいくらでも挙がります.terrible/terribly の語幹は terror 「恐怖」と同一ですが,本来の「恐ろしい/恐ろしく」の意味で使われることは少ないです (ex. a terrible weapon 「恐ろしい武器」) .むしろ,程度の激しいことを示すだけの強調語として in a terrible hurry 「非常に急いで」のように使うことのほうが多いです.質から量への意味変化が生じたもう1つの例ですね. ほかには amazingly, awfully, desperately, dreadfully, horribly, marvellously, sorelyなど感情に起因する副詞は,強調語になり下がる例が多いようです. おっしゃるとおり,これらの語では,本来の質的な意味は希薄になってしまい,ほとんどの場合,量的な意味で強調語として用いられるに至ったのだと思います. いずれの言語でも,並行的な現象が見られるというのは,たいへん面白いですね.ありがとうございました. 関連して,英語に関する話題ではありますが,筆者によるこちらの記事をご覧ください.(Read more)