mm:ジャガイモの皮をむいて、ポトフを作って、2日目あたりに具材がもうほとんどバラバラに煮崩れてしまった頃合いでカレールーを入れて、おいしく食べ終えたとき、あなたは「元のジャガイモ」がどんな形だったかをきれいさっぱり忘れてしまうでしょうか?
流石にジャガイモ自体の重さや具体的な形などは覚えていないかもしれませんが、だいたいどのへんの店で買ったか、いくつ使ったかぐらいはぼんやり覚えているのではないでしょうか。ましてや「ジャガイモ」とはどんなものだったかまで分からなくなってしまう、ということはまず無いかと思います。なぜならあなたには自分の手でそのイモを買って料理して食べた「経験」や、ほかのジャガイモ料理やら小学校の授業やらテレビやらを通じて「ジャガイモとはどんなものか」を長期間にわたって学習した「経験」があるからです。
その人が死んだ後もそのままの姿であなたの夢に出てくるのは、あなたが今までの人生でその人と関わってきた時間や「経験」が、あなたにとってのその人の本質を作っているからです。
もしその人が今世でうまいことジャガイモに転生し、今日のあなたの晩ごはんになっていたとしても、その姿で夢に出てこないのは、「ジャガイモとしてのその人」は「あなたにとってのその人」ではないからです。