山下澄人:一人芝居という手があります。人とする芝居は関係で作られますが一人芝居はむしろ人との関係以前、絵や小説に近い。どちらかというとですが。はじめやすい。ただ最初の一球だけを投げ込んであとはそれへのリアクションの連続が芝居だとすれば一人芝居はリアクションするものがない。だからずっと黙っててもいい。二人で何人でも黙ってられるけど複数の場合「関係」がすぐにはじまってしまうから別のものになる。観客は退屈するだろうけどあなたがこの世にたった一匹しかいない生き物だとすればじっと見る。そうならないのはあなたの問題というよりは観客の問題だし、そのままそれを放置し続けて来たやる側、演劇、の問題です。多くの人間はありふれたただそのままの知らない人間を見るやり方がわからない。観察される人間に何かしらの「威力」(きれいとかうまいとかすごいとか迫力があるとか我が子だとか何かそんな)がなきゃ何を見ていいかわからない。見方の提示が演劇だとわたしは考えますがそのやり方がいまだわからない。「見ることさえ出来れば!」といつも考えます。生きる以上の努力は必要ないと思います。むしろそれだけでいいともいえる。そのうちどうしたって必ず少しはみ出て行く。一人で生きているのじゃないという自覚と似ている。わたしは小説は一人芝居の気がしています。そのつもりでいました。しかし更新されるべきはその解釈なんだろうと今は思っています。