救えることもあると思います。宗教は神のような大いなる力に身を委ねるタイプのものと、自ら悟りを開くタイプのものに大別できるように思います。前者はキリスト教のような一神教や神道のような多神教がそれにあたるでしょう。後者は仏教のように神のいない宗教が該当します。そもそも神がいないのに宗教といえるのかどうかは議論のあるところですが、信じるという行為に着目すると宗教になるのだと思います。大いなる力に身を委ねる場合は、その大いなる力が救ってくれるわけですから、心が軽くなるでしょう。たとえその救いが来世において初めてもたらされるとしても、現世を生きる苦しみがやわらぎますから。現世において救われるならなおさらです。これに対して、自ら悟りを開くことで心が穏やかになるというタイプの宗教の場合はどうか? この場合もやはり救われると思います。正確には自分で自分を救うということになるわけですが。哲学はこのタイプの宗教によく似ているように思います。自ら考え、納得する。もしあらゆることについてそれができるようになった時、もう悟りを開いたといっても過言ではないでしょう。あたかもブッダが最初に悟りを開き、その手法に人々が学ぼうとしているように、哲学をする人たちも最初の哲学者ソクラテスにならおうとしています。少し話がそれましたが、だからこそ無宗教の私にもわかるのです。きっと宗教が人を救うだろうことが。

1 year ago

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