ご質問は、言語学や言語哲学の分野の最大の問題の1つですね。「サピア=ウォーフの仮説」や「言語相対論」などと呼ばれ、長らく議論されてきたテーマですが、いまだに明確な答えは出ていません。

 「強い」言語相対論は、言語が思考(さらには文化)を規定すると主張します。言語がアッパーハンドを握っているという考え方ですね。一方、「弱い」言語相対論は、言語は思考(さらには文化)を反映するにすぎないと主張します。文化がアッパーハンドを握っているという考え方です。両者はガチンコで対立しており、今のところ、個々人の捉え方次第であるというレベルの回答にとどまっているように思われます。

 「言語が文化を作るのか、文化が言語を作るのか」というご質問の前提には、時間的・因果的に一方が先で、他方が後だという発想があるように思われます。しかし、実はここには時間的・因果的な順序というものはないのではないかと、私は考えています。

 よく「言語は文化の一部である」と言われますね。まったくその通りだと思っています。数学でいえば「偶数は整数の一部である」というのと同じようなものではないでしょうか。「偶数が整数を作るのか、整数が偶数を作るのか」という問いは、何とも答えにくいものです。時間的・因果的に、順序としてはどちらが先で、どちらが後なのか、と問うても答えは出ないように思われます。偶数がなければ整数もあり得ないですし、逆に整数がなければ偶数もあり得ません。

 言語と文化の関係も、これと同じように部分と全体の関係なのではないかと考えています。一方が先で、他方が後ととらえられればスッキリするのに、という気持ちは分かるのですが、どうやら言語と文化はそのような関係にはないのではないか。それが、目下の私の考えです。

 煮え切らない回答ではありますが、こんなところでいかがでしょうか。

 この問題についてより詳しくは、私の hellog~英語史ブログよりこちらの記事セットをご覧ください。

2022/02/01Posted
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