十文字青:どうにも筆が進まない、書いたはいいけれどもまずい気がして書き直したい、といったことはしばしば起こります。そんなことはないとおっしゃる方も中にはいるでしょうが、僕の場合、小説を書いていると、数限りなくそうした事態に遭遇します。
経験が浅かった頃は、原因がわからず悩みました。あなたも僕に質問しているくらいなので、原因がわかっていないに違いありません。
そうです。うまくいかないのにはちゃんと原因があります。
これはあくまでも僕のケースですから、あなたに当てはまるとは限りませんが、だいたいにおいて「何を書くべきかわかっていない」ことから起こります。
たとえば、目をつぶってあなたが書こうとしている場面を思い浮かべてみてください。それはどういう場所でしょうか。時間帯はいつでしょうか。風はありますか。何か匂いはしますか。手で動かせそうなものはどれだけありますか。誰と誰がいますか。その人物は何を考えていますか。どのような姿勢でいますか。表情はどうですか。あなたはこれらを明確にイメージできるでしょうか。
おそらく、あなたはあなたが書こうとしている場面について、あなたが思っていたよりもよく知らないはずです。実を言うと、プロの作家でさえ、しっかりとイメージできない、していない場面を、なんとなく書いてしまったりするものなのです。正直なところ、すべての場面を隅々までありありとイメージして書いている書き手のほうが少ないかもしれません。効率の問題もありますから、重要な場面は100%のイメージを持って書き、そうでもない場面は60%程度、という使い分けをしたりもするでしょう。ですが、稀に自分自身がその物語の世界に住んでいるかのようなものを書く作家がいます。僕が真に感銘を受けるのはそうした作家です。
原稿を書くために手を動かすのは、もちろん大切なことです。しかし、それと同時に、あるいはその前に、作家は頭を使わないといけません。準備が必要です。何もプロットを作れとか下書きをしろとか言っているわけではありません。あなたが書こうとしている場面を思い浮かべてみてください。なるべく、可能な限り詳細に、です。そうすれば、書くべきことが必ず見えてくるでしょう。イメージがしっかりできたら、むしろ、書きすぎることを警戒しないといけません。何もかも書いてしまうと、読みづらく、伝わりづらくなってしまいます。
重要な場面は100%のイメージを持って書き、と僕は前述しました。けれども、書いてあることが100%だとすると、作家はそれ以上のイメージを持っているはずです。そのイメージから書くべきものを取捨選択して上手に配置すると、書いていないものまで感じられるように書くことができます。ですが、イメージが存在していなければ、それは決して浮かび上がってきません。作家は書く以上にイメージしなければならないのです。